病気って何?「大人の精神科医」が発達障害の概念を受け入れるまで

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堀 有伸 プロフィール

逆の極端を警戒する

先に紹介したアレン・フランセスは、次のようなことも述べている。精神科における過剰診断を戒める書物を書くことには、躊躇もあったという。

「私の発言はすでに、精神医学に強硬に反対するサイエントロジーやそのほかの団体によって、誤解を招きかねない形で広く引用されている。本書も同様に、これらの団体に乱用され、助けを大いに必要としている人が助けを得るのを阻む目的で使われるおそれがある」

「私にとって悪夢のシナリオは、一部の人が都合のいい読み方をして、私が精神科の診断と治療に反対しているという、本書の内容にも意図にもまったく反した結論を引き出すことだ」といったことを、明確に述べている。

臨床にかかわる人が注意して避けねばならない、二種類の間違いがある。

 

一つは、治療するべきでない人にまで、安易に治療の対象を広げてしまうことだ。もう一つは、治療によって利益をえる可能性が高い人についてまで、適切な介入を行うことを控えてしまうことだ。この二つを避けながら治療実践を継続することが、臨床医には求められている。

たとえばADHDについてならば、現状は子どもの5~10%が該当するように診断基準が定められていると考えた上で、その診断を、何らかの援助が必要な子どもたちの問題に介入するための、きっかけが与えられたと受け止めればよいのではないだろうか。

以前はよく、他の学問と比べて、精神医学の拠って立つ基盤がずいぶんと根拠薄弱なものに感じられて、悲観的な気分になることがあった。

〔PHOTO〕iStock

しかし、次に紹介する科学史家のトマス・クーンの言葉を知ってから、自分がやっていることに以前よりも安心することができるようになった。

「われわれはみな、科学を、自然が前もって設定したある目標に常に進める事業である、とみなす習慣にあまりにも慣れすぎている。

しかし、何かそのような目標がある必要があろうか。科学の存在とその成功を、ある時点における集団の知識の水準からの進化によって説明できないか。

ある一つの完全に客観的で真実の自然解釈が存在し、科学的業績の正しい尺度は、それがその究極の目標に近づく度合いによって測れる、と考えることは正しいのだろうか。

『知りたいことへの進化』を『知っていることからの進化』に置き換えればその過程で、多くの問題は消滅するかもしれない」

今の「発達障害」についても、そう考えればよいのだと思う。