この日本社会において、じつはかつて、中学校の全国大会が「ない」時代があった。
1948年3月のこと、文部省(現在の文部科学省)は「学徒の対外試合について」という通達を発出した。当時、全国的に頻繁に開催されていた対外試合を受けてのことである。
通達では、対外試合に通底するいわゆる勝利至上主義が、生徒の発達を妨げ、その自主的な活動を阻害し、さらには経済的な負担をも生み出すということが主張された[注]。
そして同通達で、文部省は各学校段階の対外試合のあり方を、中学校では校内に重点を置き、校外の場合は宿泊を要しない小範囲にとどめる、高校では地方大会に重点を置き、全国大会は年一回程度にとどめることが要請された。今日に比べてずいぶんと規制がかかっている。
だがこの規制方針は、1952年のヘルシンキオリンピックにおける日本選手団の惨敗と、1964年の東京オリンピック開催のなかで、緩和することを余儀なくされていく。文部省は1954年、1957年、1961年と通達を出して対外試合の規制を弱め、今日に至る原型ができあがっていったのである。
未来展望図において、私たちはけっして、「勝つこと」を否定する必要はない。学校の体育の授業における試合や、球技大会、合唱コンクールなど、ごく限られた範囲内でも「勝つこと」を目指して十分に楽しむことができるはずである。
「目先」から「もう少し先」へ、部活動の制度設計を急がなければならない。