日本人は戦争をどのように「消費」してきたか〜注目すべきある変化

72年間の「ポケットの中の戦争」
貞包 英之 プロフィール

わたしたちはいかに戦争を消費していくのか

こうした「戦争」の変容はなぜみられるのだろうか。冷戦の終結や9.11以降の世界情勢が題材として「反映」されているという単純な見方もまずはできる。

ただしそれだけではなく、そこには先行世代がつくりだしてきた膨大な戦争表現に対する葛藤や批判もみられるのではないか。

戦後日本は、戦争を否定する戦争というねじれたイメージを数多くくりかえしてきたが、それはある意味ではアメリカの傘に守られ安全な場所から国家や戦争を否定できることを前提としていた。

わたしたちは戦後の戦争マンガやアニメを次々と消費していくなかで、自分たちが直接の戦争から免れていることを確認し、いわば安心してきたのである。

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しかし近年ではサブ・カルチャーは充分にはこうした安心を与えてくれない。

①戦争や国家の意味がくりかえし疑われ、戦うことの意味が最小化されてしまっていること、②にもかかわらず「消費」の後押しを受け、戦争表現の過剰化――『超時空要塞マクロス』(1982)をひとつの始まりとして――が推し進められていること、さらに③グローバルな政治状況の変化によって、戦争がもはや遠いとはいえない状況に置かれていることが奇妙に交差し、そのなかで何とか戦いに意味づけする方法として「テロリズム」的物語が紡がれている。

 

その試みがうまくいくのかは、たしかに怪しい。戦争やそれを導く正義を正当化することは、最終的にはむずかしいと思われる。実際だからこそ多くの物語が、不毛で絶望的な答えにたどり着いてしまっているのである。

それでもなお戦争に対するあらたな問いかけが生まれているという事実に、真摯に向き合う必要がある。戦後日本のサブ・カルチャーは、先の大戦を「消費」していくなかで、新たな戦争イメージを生み出してきた。

それがわたしたちのどんな不安や幸福を捉えているかを探ることは、「終戦」70年を越えてなお戦争を主題化することに取り憑かれたこの社会の特異なあり方を理解するために重要な手がかりになるはずなのである。