「空襲から絶対逃げるな」トンデモ防空法が絶望的惨状をもたらした

~国は「原爆が落ちても大丈夫」と喧伝
大前 治 プロフィール

「逃げずに消火せよ」が法的義務に

当時の国民にとって、戦争は遠い中国大陸での出来事である。テレビもネットもなく、戦地の惨状を知る者は少ない。

日本の占領地域は拡大して祝勝ムードに湧く毎日。自分たちが空爆(空襲)の標的となる恐怖は感じない。その隙を突くように、1941年11月に防空法が改正され、空襲時の避難禁止と消火義務が規定された。

つまり「逃げるな、火を消せ」という命令だ。違反者は最大で懲役6ヵ月の処罰を受ける。日本がアメリカ・イギリスに宣戦布告する1ヵ月前である。

政府の宣伝にも緊迫感が出てくる。1941年12月19日に内務次官が発した通達「防空強化促進に関する件」は、「空襲に対し万全の備えを必要とする所以を強調し、こぞって国土防衛に参加せんとする精神の振起に資する教育の実施」を指示している。

読売新聞1941年12月18日付(左)、同11月27日付(右)
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11月27日の読売新聞は「傍観は立派な犯罪」の見出しで、「国民の一人一人に国土防衛の重大義務が背負わされることになった(中略)国家的義務として一人の逃避者も許されない」と訓示。

同紙12月18日付も「一億防空の義務」と掲げて「老いも若きも、働ける者はすべて防空従事者として敵弾に体当たりの意気込みで」、「日本国民の義務として米英撃滅に邁進しよう」と号令をかけた。こうして逃げる者は「非国民」とされていく。

なお、地下鉄への避難禁止については、こちらを参照http://osakanet.web.fc2.com/bokuho/tikatetu.html)。

 

勇ましくて無意味な防空訓練

国民が参加を強制された防空訓練とは、どのようなものだったか。

戦時の物資窮乏により、消防車や高圧ポンプは整備できない。バケツ・水・砂・むしろ・火叩き・ひしゃく・鳶口が「防空七つ道具」とされた。

1942年11月発行の「内務省推薦 防空絵とき」は、バケツ注水の腰づかいや、2階からバケツを下ろす方法を解説。2階の人は上半身を火に晒している。

「内務省推薦 防空絵とき」(1942年11月刊・大日本防空協会)より
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さらに同書は「火叩きの作り方」を解説。短いものは1メートルでよい、あり合わせの棒に縄を取り付けたハタキ状のもので猛火に挑めという。

発火した焼夷弾に1メートルまで近づいて、濡れた莚(むしろ)で覆う消火方法も紹介。猛烈な火炎に近づくのは自殺行為に近いが、これが政府公式の消火方法とされた。

後に、訓練に忠実に消火しようとした人々が劫火の犠牲となった。

前出「内務省推薦 防空絵とき」より
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