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真珠湾攻撃「不時着したゼロ戦」が辿った哀しき運命

「ニイハウ島事件」をご存知ですか
将口 泰浩 プロフィール

持ち帰られた「謎の木札」

さて、このニイハウ島事件の後、米陸軍の調査官が、西開地と原田、2人の死亡の経緯を調査するため、島に上陸した。

 

その際、調査官は、零戦の機体近くに残されていた名札のようなものを持ち帰っていた。この調査官は今から20年前の90年代末に死亡したが、その遺族が「名札を持ち主の元に返還したい」と、真珠湾の米海軍基地内にある「太平洋航空博物館」に託した。ここには西開地機の残骸も展示されている。

西開地機西開地機の残骸がジオラマの中に置かれた太平洋航空博物館の展示
零戦を再現した展示もある

その返還がようやく実現したのが、今年の6月22日だ。同博物館館長のケネフ・デホフ氏が、愛媛県今治市に住む西開地の弟、良忠さん=87歳=を訪問し、名札を返還した。だが、これらの木札が、実のところ何に使われていた、誰の名前を書いたものなのかは、謎のままなのだ。

名札は縦10センチ、横2センチで「松田龍雄」「金川炳浩」「美齊津ひょう三」(※「ひょう」の字は人偏に「票」)「岸本勇盛」「須藤松蔵」の5枚。他に「事務」「イ3483」と書かれた2枚の木札も残されていた。

「事務」という札があることから、日本の命運を賭けた攻撃に出る際、出撃できない主計科などの事務系の「飛龍」乗組員から「俺たちの分まで頼んだぞ」と名札を手渡された可能性もあるが、詳細は不明。「イ3483」が何を指すのかもわかっていない。

謎の木札謎の木札。名前の他に「事務」「イ3483」という札もあった

それでも、これらの札が西開地機とともに、悲劇の島・ニイハウ島にやってきたことは間違いない。返還に訪れたデホフ氏は、「戦後72年もの間、日米両国は友好を深めてきた。名札返還は友情をさらに深める契機となる」と話している。

西開地の弟である良忠さんは「米国から戻ってきて兄も喜んでいると思う。名札の主は兄の戦友かもしれない。どういう思いで兄に手渡したか。早く持ち主の元にお返ししたい」と、木札に名前のある人や遺族が判明することに期待を寄せている。

良忠さんとデホフ氏弟・良忠さん(左から3人目)を訪れたデホフ氏(右から2人目)一行
※これらのお名前や木札の意味に心当たりのある方は、ぜひ現代ビジネス編集部までお知らせください。宛先はgendaibusiness@kodansha.co.jpです。