「柳澤さん、『1984年の佐山聡』を書かないんですか?」

平野啓一郎×柳澤健【特別対談・後編】
現代ビジネス編集部 プロフィール

日本人と格闘技、日本人とプロレス

平野 例えば、ベビーフェイスとしての日本人選手は、アンドレ・ザ・ジャイアントや、アブドーラ・ザ・ブッチャーみたいな規格外の異形の存在が「周縁」からやってくる時には、「中心」的な存在なんですよね。で、そっちの方にファンが熱狂する。

NWA(プロレスの世界でかつて最高権威を保ったタイトル。東洋人ではジャイアント馬場が3度にわたって獲得している)世界チャンピオンのハーリー・レイスとかリック・フレアーなんて、チャンピオンとして、まさにプロレスの「中心」から来ているレスラーですが、子供がプロレスごっこをするとき「ハーリー・レイスになりたい」なんて言わなかった。

柳澤 確かにハーリー・レイス役になりたがる子供はいませんね(笑)。

平野 やっぱり、アンドレやブッチャーやシンに熱狂するわけですね。プロレス自体は中心の権威があって成立しているんだけれど、来日する時には外国人レスラーの方が周縁的だったり、またその関係性が、テレビ中継の中心性と地方巡業の周縁性に重なったり。その複雑な仕組みを機能させてたのは、一興行あたりの試合数だったと思うんです。

日本人の若手レスラー同士の試合が前座であり、外国人悪役レスラーと日本のベビーフェイスとの戦いがあり、アメリカの王者と日本のスターのタイトル戦がある、というように、10試合それぞれに意味と役割がある。ストーリーが単一化されない。

柳澤 バリエーションがあったということですね。とすると、プロレスが格闘技路線を押し進めようとすると、まさにその仕組みを変えてしまいかねない。

平野 問題は、UWFのような格闘技路線を経由して、そういう一種、芸能的な要素を削ぎ落としていくと、つまりガチに近づけば近づけるほど、このシステムが機能しなくなるんですね。ガチの試合ひとつひとつに、中心と周縁のような意味合いを持たせてコントロールすることはできないですから。今のUFCが完全にそうですよね。で、それを楽しめるかどうか、ということだと思います。

そういう意味でいうと、日本人は長いこと昭和プロレスの興行の感覚をずっと引きずっていました。一時期のPRIDEなんかは、そういう試合の組み立てをしていました。ひと試合ごとに物語、テーマを持たせて、ヴィデオで煽る。大晦日のテレビ中継だって、やり過ぎなくらいそれでしたし。

柳澤 結局、日本の総合格闘技は、UFCとは違って、いつまで経っても純粋な競技にはなれず、プロレスと地続きなんですね。

平野 そうだと思います。昭和プロレスは、アントニオ猪木がIWGPを構想して、日本を「中心」に固定してしまおうとした時から終わり始めたんだと僕は見ています。他方、第1次UWFで佐山さんはガチっぽくやるなら、興行数を減らすべきと考えていました。

この発想は、ボクシングなんかを考えれば当然ですよね。地方巡業の集客が厳しかったという実際的な理由もあったようですが、文化人類学的には、格闘技を昭和プロレス的なシステムから引きはがす、根本的な意味があったと思います。

で、繰り返しになりますが、客の側がそれを面白いと思うかどうか。客を集めるという意味と、育てるという意味とでは、興行としてのプロレスと格闘技の連続性は功罪がありましたね。

柳澤 それはまったく考えたこともありませんでした。マニアの真髄を見せつけられた気分です。

話し始めてから、3時間も経っていますよ…!結局、小説の話までは出来ませんでしたね。時間切れ引き分けでは読者は納得しませんので、ぜひとも「再戦」の機会があることを願っています。

平野 こちらこそ、刺激的なお話をありがとうございました。

(構成・執筆/細田昌志 撮影/村上庄吾