「柳澤さん、『1984年の佐山聡』を書かないんですか?」

平野啓一郎×柳澤健【特別対談・後編】
現代ビジネス編集部 プロフィール

イワン・ゴメスが正解だったのでは

柳澤 「ついに書くときが来たのか」と(苦笑)。大変な作業になること、反発を受けることは、最初から覚悟していました。

平野 この本を読んで改めて思ったのは、「佐山聡がすべて創った」と書けば、やっぱり、反発はあるのかなと。いっそ、日本の総合格闘技のルーツをイワン・ゴメスにまで遡ってしまえばよかったんじゃないかと(笑)。

柳澤 なるほど、その手があったか(笑)。

平野 やっぱり、佐山さんの打投極の思想の萌芽には、新日本プロレスの若手時代に出会ったゴメスの影響が大きかったと思うんです。僕はそれは、過小評価されてると思います。

柳澤 ゴメスが新日本プロレスにいた頃には、VTの写真を見せられたっていいますしね。それは確かに。

平野 そう書いていれば前田さんも納得したのかな、と。前田さんのゴメスの評価はあんまり読んだ記憶がないですけど。

柳澤 そしたら、それはそれで今度は「違うよ。ゴメスじゃなくてゴッチさんだよ!」ってまた怒られたかもしれない(笑)。どっちみち怒られただろうな。でも、ヴァーリ・トゥードを日本でやっても受け容れられない、と佐山さんは思ったんです。安全なスポーツにしないといけない、と。

平野 プロレスから総合格闘技に移行する歴史の中で、UWFの果たした役割、そして佐山聡という人物について振り返ってみると、やっぱりなんだかんだ言いながら避けては通れないのが、冒頭で柳澤さんもおっしゃったように「プロレス」の特殊性かなと思うんですね。

柳澤 いわゆるムラ社会、という点も含めて。村のオキテが存在するという特殊な世界。

平野 去年の話ですけど、『1980年代 なんだったのか、あの時代』(河出ブックス)というムック本の中で、山口昌男の『天皇制の文化人類学』(岩波現代文庫刊)という本を使って「昭和プロレスのリアリティ」と題した分析をやったことがあるんですよ。

柳澤 平野さん、いろんなことをやっていますね(笑)。

 

平野 特に昭和プロレスは、「旅芸人」なんかとの比較から、文化人類学的に考察すべき対象だろうと思います。……細かい話はそのエッセイの中でしてますが、興行形態としては、地方巡業をやったり、3時間で10試合程度をやるというのは、実はボクシングなんかよりも、遥かに音楽の興行に似ているんですね。ミュージシャンも全国津々浦々コンサートツアーで回って、1曲目はこんな曲をやって、途中はこんな感じの曲を並べて、最後一番盛り上がるところでこの曲とかって、構成を考えますよね。

柳澤 確かに。新日本プロレスを買ったブシロードの木谷さんも、プロレスと音楽のライブの類似性を指摘していました。

平野 山口昌男の理論を援用すると、昭和のプロレスの興行というのは、「中心」と「周縁」という両極を非常にうまく活用してます。プロレス全体で見ると、中心は「プロレスの本場」であるアメリカで、周縁は日本です。でもこの両極を、レスラー単位で見るとまた違ってくる。

柳澤 どうなるんですか?