「柳澤さん、『1984年の佐山聡』を書かないんですか?」

平野啓一郎×柳澤健【特別対談・後編】
現代ビジネス編集部 プロフィール

『1984年の前田日明』…?

柳澤 思わなかったですね。それは、文藝春秋から「UWFについて書いてくれ」という発注があったのが大きい。「UWFとは何か」ということを考え抜いた僕は、中井祐樹という傑出した人物の視線を入れることで、「UWFというひとつのファンタジーがどのように生まれ、どのように消滅したか」という現象を描けると思った。その現象が突如として出現したのが1984年だった。

でもこの間、平直行さん(90年代に「総合格闘家の申し子」と呼ばれた格闘家。板垣恵介作のマンガ『グラップラー刃牙』のモデル)から電話がかかってきて、「柳澤さん、いいことを思いつきましたよ」って言うわけ。「柳澤さんが『1984年の前田日明』って本を書けば万事丸く収まる」と(笑)。

平野 ハハハ。

 

柳澤 1984年の前田日明が、新間寿の指示で新日本からUWFに行かされて、カネのない団体と仲間を必死に守って、佐山という先輩の無茶ぶりをなんとかまとめていこうとする本。

平野 それはそれでぜひ読んでみたいですね(笑)。第1次UWFについてはいろいろ思うところがあるんですけど、例の大阪のシュートマッチ(※1985年9月2日・大阪府臨海スポーツセンターで行われた、スーパー・タイガー(佐山聡)対前田日明の一戦。いわゆるプロレスの範疇を越えたシュートマッチといわれる)。

あのとき佐山さんが27歳で前田さんが26歳かな。二人とも、とにかくものすごく若いんですよ。昔は憧れの年上のプロレスラーだったけど、40歳を越えた今の僕から見ると、何て言うか、大きなお金が動いていて、周囲の大人たち、関係者……堅気ではない人も含めて、色んな思惑に翻弄されながら、あんなに若くてピュアな二人が健気に闘ってる姿が、切なくて仕方がないんですね。

平野啓一郎 1975年愛知県生まれ。北九州市で育つ。京都大学法学部在学中に『日蝕』で当時の史上最年少で芥川賞を受賞。以後『葬送』『ドーン』『決壊』など数々のヒット作を輩出。昨年発売された『マチネの終わりに』が16万部超えのベストセラーに

柳澤 そうですね……。

平野 あの試合は心理的なことばかり考えちゃいますね。いろんな人が「佐山さんはキレやすい」と言うけど、あの試合では微塵もそういうところがない。前田さんの方も最初に佐山さんに重い張り手をかますんだけど、それ以上はあんまり踏み込まないんですね。途中、佐山さんがオモプラッタみたいな形で腕を取りながら前田さんの耳元でしきりに何かを言っている。

何を言っているのかは分かりませんが、佐山さんはやっぱり年上だし、『もっとがんばれよ』とか励ましてたとも言われてますが、あそこまで追いつめられてしまったのを見て、「悪かったな」という気持ちも幾らかあったのかな、とか、小説家なのでいろいろ想像します。

柳澤 まあ、前田はフロントからいろんなことを吹き込まれていたでしょうしね。

平野 佐山さんにとって自分の団体って、ある種の「実験場」みたいなもので、修斗だってそうだったし、掣圏道のアルティメット・ボクシングも、このところやってることも、みんなそうでしょう?やらされる方は、なかなか大変ですよね。

柳澤 確かに。佐山さんは、自分が第1次UWFのなかで疎外されていることも気づいていただろうし。優しい人ですけど、天才だから、ほかの人間が何を考えているかなんてどうでもいいんです。

平野 前田さんは前田さんで、「佐山さんの周りには変な取り巻きがいて」みたいなことを今もよく言うでしょう。例えばショウジ・コンチャのこととか。新間さんとかが「あんなショウジ・コンチャなんかと付き合うべきではない」と警察に言われたなんて話もあって。普通の警察というより、公安だったんじゃないかとか勘繰ったりもしますが……。

とにかく第1次UWFの周辺には、田中正悟さんもそうですが、豊田商事まで含めていろんな人がいただろうと思うと、それに翻弄された若い二人に対して、いたたまれない気持ちになるところがあります。自分がその歳でそういう状況だったらと想像すると。

柳澤 そうかもしれませんね。しかし、そのときの佐山聡ほどではないけれど、僕もこの本を書いたことで随分叩かれていますよ、ホント(笑)。前田日明はそれだけのカリスマなんです。

平野 連載の依頼が「Number」から来たときは、柳澤さんはどう思われたんですか?