『1984年のUWF』の波紋と佐山聡の「恐るべき先見性」を語ろう

平野啓一郎×柳澤健【特別対談・前編】
現代ビジネス編集部 プロフィール

佐山は十年先を行っていた

平野 たとえば、一つの競技内での名指導者として、世界クラスの選手をたくさん輩出した、という評価ではないですよね。むしろ、理想の格闘技を目指して競技自体を作り替えていってしまうから、特に修斗で一旦、一つの完成形を見たあとは、「真の強さ」という言い方で、選手の育成に関しても、ますます、競技内での競争という関心から逸れていってしまっているでしょう?いつも実験的だし。

佐山さんはやっぱり、レギュレーション次第で格闘技は本質的に変わるんだという発想が一貫してますね。その視野がボクシングやレスリングといった近接的な世界から相撲や果てはストリート・ファイトまで非常に広い。ものすごくクリエイティヴで、オープンフィンガーグローブであったり、レガースであったり、八角形リングといった新たな概念を――彼自身の「発明」と言い切ってしまっていいかは議論があるでしょうが――導入した人物であることは間違いない。

グローブについては、ブルース・リーの『死亡遊戯』をヒントにしたという話もあって、ジークンドーのダン・イノサントこそが発明者ではないかという話もありますが。とはいえ、あれを導入して競技に定着させた功績は途轍もなく大きいですよね。格闘技の歴史を振り返れば、すごいことじゃないですか。

 

柳澤 佐山さんは偉大ですよ。シューティング(現在のプロ修斗)を始めたときも、新しいものを導入するために相当お金をかけている。投資した額は莫大だったと思います。八角形リングなんて、いくらかかったんでしょう。レガースやグローブだけではなくて、最初はマスクもあったりしましたね。第1回プリシューティング大会の前夜に、みんなが徹夜で準備した、なんて話もある。

「防具なんてカッコ悪いよ」と言うのは簡単だけど、じゃあ、総合格闘技を1980年代半ばにやろうとした人がいたのか? と言えば誰もいませんからね。日本の総合格闘技は佐山聡から始まった。前田日明からじゃない。

平野 初めて佐山さんとお会いした2000年というのは、総合格闘技の見方をファンがやっと理解しつつあった時期で、「テイクダウンされても、ガードポジションを取っていれば、下になっている方が有利だ」みたいなことが、当時解説でよく言われてました。UFCでのホイスのインパクトが大きかったので。

でも佐山さんはこの頃すでに「寝技には限界がある。ガードポジションが万能ではないことは、私は十年前から言っていた。これからは打撃だ!」と確信をもって仰っていて、対談の時にも「ニー・オン・ザ・ベリー」とか「ロシアンフックの打ち方はこうで……」とか、打撃のことをしきりに話されてました。当時はグレイシー旋風が吹いた後の、寝技偏重の時代だったので、それは衝撃でしたね。

実際にその後、MMAにおいてはストライカーが伸長してくるわけで、「十年先を行く」なんてよく言われますけど、本当に佐山さんは随分先を見通していたんだなと思うところはあります。

(構成・執筆/細田昌志 撮影/村上庄吾 後編へ続く→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52567