実父が蒸発…『ひよっこ』沢村一樹の知られざる「極貧」少年時代

鹿児島に住む実妹が初めて明かす
週刊現代 プロフィール

父が蒸発した後、二人の我が子を守るため、沢村の母は、昼も夜も働き詰めの生活を送っていた。昼は化粧品の販売、それが終わると一旦家に帰り、夜はスナックで働いた。

「土日もなく本当に働き詰めだったので、さすがに倒れてしまったこともありました。兄が中学生の頃だったと思いますが、子宮がんになってしまい、1ヵ月入院。でも子宮を全摘した後、すぐに働きだしました。

ただ、おカネがなかったわりには、子供ながらに生活が苦しいとは感じませんでした。母が食事を作る時間がなかったため、夕食は毎日定食屋さんから出前を取っていました」

イケメンの薩摩隼人だった沢村は、小学校時代からモテていたという。

「当時はマッシュルームカットのサラサラヘアー。身長は小学生の頃から高かったですね。バレンタインのチョコもずいぶんもらっていました。

でも残念ながら家族4人の写真は一枚もないんです。そもそも子供時代の写真がほとんどない。当時はまだ使い捨てカメラもない時代。カメラはありましたが、フィルムを買うおカネがなかった。

週末どこかに出かけた記憶もありません。1年に一回、家族3人で近所の洋食レストランに食事に行った程度です。レストランといっても、いつも出前を頼んでいる定食屋の隣の店。それでも嬉しくて、いつもよりオシャレして行きました」(真美さん)

父親の借金を返しながら、女手一つで子供たちを育ててきた母。だが母はそんな苦労を微塵も見せない明るい人だった。口癖は「狭いながらも楽しい我が家」――。

その言葉通り沢村は、母の性格を受け継いだ明るい少年だった。勉強もスポーツもできて学級委員長にも選出された。

 

沢村が中学生の頃に両親が正式に離婚。しかし、離婚後もたまに父は家にやって来ることがあったという。

「私としては、父に会えるのが嬉しかったのですが、一方で『お母さんは、一生懸命働いているのに、この人は何をしてるんだろう』という気持ちもありました。兄は『あぁ来たんだ』と素っ気ない感じでしたね」(真美さん)

そんなある時、酔っぱらった父が家にやってきた。そして、あれこれ母の悪口を言い出した。最初は黙ってそれを聞いていた沢村だったが、ついに我慢できなくなり、父の胸ぐらをつかみ、

「二度とうちに来るな!」

「(お前が)お母さんの悪口を言うな!」

と激昂。激しい口論になった。

「誰のせいでこうなったと思っているんだ」――そんなやり場のない沢村の父への怒りが、爆発した瞬間だった。

「私が記憶している限りでは、それが兄と父が会った最後でした。そもそも母に離婚を勧めたのも兄だったんです。『もう離婚していいよ』と。それまで母は子供のために、父親がいたほうがいいと考え離婚をためらっていたんです。

野村は父の姓ですが、離婚後、名字を変えなかったのも、私たちが学校で嫌な思いをしないようにという思いからです」(真美さん)