その晩、夫は珍しく早く帰宅した。ケイコさんは、どうやって息子の話を切り出そうかと考えていた。
ユウトが4歳になって、やっと幼稚園生活も軌道に乗ったと思っていたのに、今日の夕方お迎えに行ったとき、担任の先生から「少しお話があります」と言われたのだ。
出産するまで幼児教育関係の団体に勤めていたケイコさんは、育児や子どもの教育にはそれなりの知識があると自負していた。
不安になったが、できるだけにこやかな顔つきを心がけているケイコさんに向かって、先生はこう言った。
「ユウトくん、じつはお友達に軽いけがをさせてしまったんですよ」
柔らかな口調だったが、明らかにユウトに対して批判的な内容を聞いて、ケイコさんは驚くと同時にショックを受けてしまった。
「ああ、そうですか……ほんとうにすみません。できればそのお友達の名前を教えていただけるでしょうか。ちゃんとお詫びをしたいと思いますので」
ひたすら頭を下げているケイコさんに向かって先生はさらにこういった。
「最近、ご家族に何かあったんでしょうか。ちょっと落ち着きがないし、お友達との関係もうまくいってないみたいなんですね」
追い打ちをかけるような担任の言葉を聞きながら、ケイコさんは冷静さを失い、頭の中が真っ白になってしまった。落ち着きがなく、友達とうまくいかない……つまり、園では問題児になっているということだろうか。
おやつまで手作りにして、水泳教室も開始したし、いずれ小学校を受験するための準備だってぬかりなくやってきたのに。ママ友との関係だって、自分で言うのもなんだけど、それほど困っているわけじゃない。行事のたびに私は中心的な存在になっている。
なのに、いったいどうしてだろう。「ご家族に何かあったんでしょうか」というのはいったいどういうことなんだろう。その言葉を反芻しながら、心の中で不安の塊がだんだん大きくなってくるのを感じた。
でも、担任に家庭のことにまで首を突っ込んで来る権利などあるだろうか。何よりこの話がママ友に伝わっていくことが怖い。
「先生、ご心配おかけします。特に何も変わったことなどありませんから、ユウトがもっとのんびりできるように、今度の週末、山の家にでも連れて行きます」
ケイコさんは、ゆっくりした口調で伝え、深々と頭を下げた。
帰る道すがら、ユウトがけがをさせたお友達にどうお詫びをすればいいかを考えながら、ケイコさんはだんだん担任に腹が立ってくるのを覚えた。
幼稚園の指導や教育の問題なのに、それを家族の問題にすり替えているのではないだろうか。自分たちの幼稚園教諭としての至らなさを親のせいにするなんて責任逃れではないだろうか。