「ゴミ屋敷」や「だらしなさ」は病気か? なんでも医療化の功罪

新しい病気が次々生まれている…
美馬 達哉 プロフィール

医療化の功罪

さきほど医療化の例をあげたが、それらとため込み症の医療化には次の共通点がある。

一つは、病気と認められるだけで治療法がなくても本人が楽になる場合があることだ。

家族や周囲から責められ、整理整頓できないダメ人間だと自己評価の低い人にとって、病気という診断は逃げ道になる。自己責任でだらしないからではなく、病気の結果としてゴミ屋敷になったのだから。

ただし、それは診断基準にあった「ためこみによって、本人がはっきりした苦痛を感じていた」場合、つまり片付けられず捨てられないことで苦しんでいる自覚のある人々の場合だ。

使い道が見つかるかもしれないものや将来必要になるかもしれないものを保存しているだけと確信している人々のときは、病気とは心外だということになる。

もう一つの共通点は、病気と正常・健康の間が連続的で境目があいまいな点だ。

極限状態を言えば、ゴミ屋敷で足の踏み場もなく、がらくたの山が崩れて圧迫死する例もある(「安全な環境の維持ができない」)。これは誰の目から見ても正常とも健康とも言いがたい。

では、病気としてのため込み症はどこから始まるのか?

デスクが書類の山だと、ガンなどの病気と同様に「早期」から「進行」して、ゴミ屋敷になっていくのか?

誰かに喜ばれるかもと思って、古い服や小さくなった子供服が捨てられないで衣装棚からはみ出してくると、それはすでに病気への一歩なのか?

ものが家からあふれてレンタル倉庫を利用している人は、一種のアウトソーシングによってため込み症を一時的にごまかしているに過ぎないのか?

時間があれば見ようと思ってハードディスクにテレビ番組を一生かけても視聴できないぐらいため込み続けている人は、何かのきっかけで品物をため込みするようになるのか?

 

消費社会とモッタイナイ

さらに言えば、たんなるだらしなさかため込み症という病気かの境界線の引き方だけが問題なのではない。そもそも、価値のないがらくたやゴミと有用な品物を分けること自体があいまいで問題含みなのだ。

ウェブ上のオークションサイトを眺めてみればわかるが、いまやありとあらゆるものに値段がついている。ペットボトルのふたやセミの抜け殻でも夏休みの小学生の宿題用に売れるらしい。壊れた品物がオークションに出されていることもしばしばだ。

もっとグローバルに考えてみよう。不具合のある電気製品やピアノや雑貨類の山に埋もれた東京のゴミ屋敷の住人は低開発地域のスラム街の住人からすればたいへんな物持ちなのではないか。

じつは、個人の特性を病気と名付ける医療化の最大の問題点はここにある。つまり、社会の側がため込まれた品物をどう意味づけるかという問題を無視して、ため込んでいる人間とその心理にこそ問題が潜んでいると考えてしまうことだ。これは、社会学では医療化による病理化とか個人化とか呼ばれるメカニズムだ。