Uberを窮地から救えるか? アリアナ・ハフィントンの挑戦

シリコンバレーの曲がり角で
池田 純一 プロフィール

現実社会との軋轢

ともあれ極端なまでの実力主義の結果、営業上の実績以外の評価基準がないがしろにされてしまったというのがUberの実情のようだ。実績を上げてさえいれば、セクハラもパワハラも見過ごされてしまう。

加えてUberの営業形態は、ドライバーを社員ではなく契約者として扱うため、実際のところ、個々の配車サービスの現場の管理にも限界がある。あるいは、その契約者たちからの意向を上手く汲み取るフィードバックの仕組みづくりにも工夫が必要になる。

それもこれもUberの場合、FacebookやGoogleのように、ウェブ内部で完結するような、情報・コミュニケーションサービスではないからともいえる。その分、フィジカルな現実社会との軋轢が常に生じる。

Gig Economyの本質とは、今までなかった組織形態や人員配備に対する挑戦であり、その練磨は一つの企業内部での取り組みで完結するようなものではないからだ。

けれども各種の社会ルールの改善の手続きを待っていたら、そもそもイノベーションもコンペティションも不可能になる。それゆえ走りながら、一定規模の事実性を確立したところで、ルールの方を後付けで書き換える。グレーの世界を無理やり白くしていくやり方だ。

もっとも、この走りながらルールの変更を迫るといった方法論は、訴訟社会として司法=裁判が日常生活の法的秩序のバランスを保つ役割を十二分に果たしているアメリカだからこそなんとか可能なことであり、司法よりも立法によるトップダウンのルールメイキングが採用される国では、そのようなゲリラ的展開はなかなか難しい。ヨーロッパ諸国でUberがなにかと揉めている理由も、多くはそこにある。

Uberに抗議するタクシー運転手。スペイン・マドリッドUberに抗議するタクシー運転手。スペイン・マドリッド〔PHOTO〕gettyimages

問題は、よくも悪くもカラニックが、ゴールに向けて立ち塞がる壁を破壊して進むタイプの、ガッツのある起業家であったことだ。

そのため、しばしば法的にグレーなところも「バレなければ問題ない!」とばかりに、まずは進軍してしまうことから始め、その途上で、具体的な問題をさばいてきた。

これがウェブに完結した世界ならば、先行して存在する類似サービスを駆逐するだけで済むわけだが、フィジカルな世界の資産配分に手を付けるUberのようなGig Economyの場合は、完全な駆逐は難しい。そのような振る舞いは、むしろ必要以上に社会的な軋みを生み出してしまう。フィジカルな世界では、どうしても既存のシステムからの「移行」という問題を抱えるからだ。

つまり確かにこの点でも、一連のUber騒動は、Uber単体の問題というよりも、シリコンバレーが抱える問題であり、もっといえば、Gig Economyに挑戦する企業ならば等しく抱える課題であるといえる。

だからこそ、HuffPoの編集者であったアリアナの「アジェンダ・セッティング」力にも期待したいところだ。

1年前であれば、ウェブの次なるステージとしてGig Economyの扱いは、それこそ連邦、州、都市の各政府との間で議論がなされてしかるべきものと思われていたのだが、トランプ政権の誕生ですっかりそのような雰囲気は払拭されてしまった。

Uberは、そのような時代の風向きの変化のなかでやり玉にあがってしまったともいえる。なにしろ、今回の騒動の発端の一つからして、トランプ主催の経営者会議へのカラニックの参加があったのだから。