Uberを窮地から救えるか? アリアナ・ハフィントンの挑戦

シリコンバレーの曲がり角で
池田 純一 プロフィール

起業家カラニックの足跡という点でいえば、Uberは彼にとって三回目の起業だ。UCLAを中退して始めた最初の会社であるScourは、Napsterのような音楽ファイルシェアリングサービスであり、Napster同様、権利侵害で著作権者から訴えられ自己破産で終った。

二番目の会社のRed Swooshはなんとか生き残りAkamaiに売却してイグジット(exit)にも成功し、そこでカラニックはシリコンバレーのミリオネアの仲間入りを果たした。ロサンゼルスからサンフランシスコに活動拠点を移した後、2009年に始めたのがUber(当初はUberCab)だった。

Uberは、先述のように、「シェア」という行為に社会的な関心が集まってくる中、同時期に起業されたAirBNBとともに新たな社会的価値・経済的価値を体現するスタートアップとして注目を集めていった。「シェア」という言説バブルにも後押しされ、順調に成長を遂げてきた。

それはまた同時に、シリコンバレーにおいて、上場前の企業の株式が売買される私的マーケットが立ち上がり始めた時とも重なっている。未上場企業だが将来性が有望であることから、高い企業価値評価を受ける企業を「ユニコーン(一角獣)」と呼び表す風潮が生まれた頃でもあった。Uberも一時は、約700億ドルの企業価値がつけられていた。

そして、この「上場を先延ばしできる」風潮が、本来なら上場企業であってもおかしくない企業規模になっても未上場のまま成長を続けられる一方、上場企業として果たすべきアカウンタビリティを免れることを可能にした。

生き続けるジョブズ神話

十全なアカウンタビリティへの対応には、管理部門の拡張など成長とは直接関わらない部分にまで経営資源を割かなければならなくなるため、単純に費用が増えてしまう。それが免除されることは見た目にはプラスだ。

もっともその結果、企業規模の割には野放図な経営が温存され、今回のUberのように第三者の目からすれば「杜撰」な経営組織が放置されたままになってしまう。このような批判も相次いでいる。

つまり本来なら上場し、一定の経営管理基準に従って、透明性や公開性などを通じて、日頃の経営活動に対してなされるべきチェックが見過ごされてしまっていたことが、Uber社内における一連の不祥事を招いたと見るわけだ。

要するに、コーポレートガバナンスという視点がごっそり欠けていた。

実際、創業者のやる気と熱意を尊重し、最大限まで引き出そうとする風潮が今のシリコンバレーでは優勢だ。直接的には、スティーブ・ジョブズの神話や、GoogleやFacebookのサクセス・ストーリーに依拠している。

ジョブズの場合は、一度放逐されたAppleに返り咲くことで、死に体だったAppleを世界一の優良企業にまでターンアラウンドさせただけでなく、iPhoneというプロダクトの導入によって、それこそ世界中の人びとの生き方を変えてしまった。

このジョブズのエピソードが後押しして、シリコンバレーでは、創業者の意欲を最大限に尊重し、経営の舵取りを任せる風潮が正当化された。

そこから若い創業者に対しては、急成長する組織経営の指南役として外部からCEOやCOOを迎える動きも現れた。Googleのペイジ&ブリンに対するエリック・シュミット、Facebookのザッカーバーグに対するシェリル・サンドバーグが典型であり、そうした指南役の後押しにより創業者たちは投資家の思惑通り、経営者としての成長を示した。

こうした成功を踏まえて、後続の起業家たちには、創業後の経営の裁量が大幅に認められることになった。

カラニックがUberを急成長させた背景にも、創業者による斬新で熱意のある経営手腕に期待する空気があった。残念なことに、その空気がUberの場合は裏目に出てしまったようだ。

遅まきながら、カラニックにとってのメンターとして浮上してきたのがアリアナであった。