Uberを窮地から救えるか? アリアナ・ハフィントンの挑戦

シリコンバレーの曲がり角で
池田 純一 プロフィール

ちなみに“#deleteUber”の運動では、わざわざ一度Uberのアプリをインストールした上で即座にそれをデリートする者も現れ、ウェブ時代の「新しい不買運動」のあり方を示した。

もっともこれはUberからすれば因果応報という感じがしなくもない。もともとUber自身、ニューヨークなどタクシーサービスが充実している都市で営業を始める際、ユーザーから市当局にUber容認の陳情を容易に送れるアプリを用意したこともあったため、「不支持」をウェブを通じて表明されても仕方なかったといえる。

ともあれ、こうしてUberの営業現場の不祥事が明らかにされ、それに伴い、管理職や経営者、あるいはボードの中からも「不用意」な発言をするものが相次ぎ、それがまた醜聞として広まっていった。

そんな無限ループの如き様相を呈してきたのが、この春先くらいからのUberを取り巻く状況だった。男性本位で実績主義ベースの、いわばボーイズクラブのようなUberのカルチャーが明らかにされ、外部からの非難が相次いだ。

シリコンバレーの男性優位主義

実際、経営陣の失態・失言から、サービス現場における不祥事に至るまで、企業文化のいい加減さが明らかにされ、一時は、これはもう、企業としては社会的に存続不可能なのでは? というところまで来ている感があった。

ビジネスジャーナリズムの報道の中には早くも、Uberは消えても、Uberが始めたライドシェアというサービスの意義は消えることはないだろう、などと論じるところまで出る始末だ。

そんな中で、女性のボードメンバーで、セレブリティとしても名の知れたアリアナの位置づけが高まっていった。

アリアナは、Uberの企業文化をむしろ、シリコンバレー全般に広がる男性優位主義の現れの一つとして一般化することで、非難の矛先をUberだけでなくシリコンバレー全体の問題に置き換えようとしているようだ。

実際、この「男性優位」という批判は、Uber騒動が始まる以前からあったことで、たとえばシリコンバレーを代表するベンチャーキャピタルのKPCBで女性の昇進を巡って訴訟が起こされていたりした。訴訟自体は、訴えた側の敗訴で終わったものの、論点だけは広く残った。

アリアナは、こうした状況まで含めて「修繕(fix)」したいと考えているようなのだ。

ウォン・リング・マーテロをUberのボードに引き入れたのも、女性のボードメンバーを実際に増やすことで、まずはUberのボーイズクラブ的な、男性優位に傾斜した企業文化が「変わった」ことを社外に知らしめる狙いもあった。

なぜ野放図な経営が放置されたか

それにしても、そもそも、なぜ、このような事態がUberには生じてしまったのか。

昨年あたりからアメリカでは、UberやAirBNBに代表される、いわゆるGig EconomyないしはOn-Demand Economyを扱う書籍の出版が相次いでいるのだが、その中で参考になるのが、たとえばブラッド・ストーンによる“The Upstarts(未邦訳)”だ。Uberの成長過程について、AirBNBとの同時代性の共有という観点も含めて丁寧に記されている。

ブラッド・ストーンは日頃、Bloomberg BusinessWeekなどに寄稿しており、前作の“The Everything Store(邦題:『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』)”では、ジェフ・ベゾスによるAmazonの創業とその後の成長過程について詳細に記していた。創業者の洞察や動機づけと時代性のシンクロ、という観点から記されていたこの本と同様の手さばきで、新著でもUberやAirBNBの社会的意義について論じている。

都市にあふれる既存余剰資産の「シェア」という発想から始まったGig Economyには、確かに革新性があった。引退モードにあったアリアナに関心を抱かせたのもそうしたところだった。