「日本人は集団主義」という幻想

じつは根拠なんてなかった…?
高野 陽太郎 プロフィール

日本人論の「常識」になった理由

「敵国」日本を1年かけて研究した人類学者ルース・ベネディクトは、戦後、その研究成果を『菊と刀』という著書にまとめた。この本が「日本人は集団主義」という「常識」を日本で確立したといわれている。

なぜこの本はそれほどまでに強い説得力を発揮したのだろうか?

戦後すぐの時期、「日本人は集団主義」と言われれば、日本人もアメリカ人も、ついこのあいだまで、一丸となって戦争を遂行していた日本人の姿を思い浮かべたにちがいない。「日本人は集団主義」という指摘は、だれにとっても「なるほど」と思える指摘だったのである。

では、戦時中、日本人が見せた集団主義的な行動は、日本人が集団主義的な精神文化をもっているということの証拠になるのだろうか?

いや、ほんとうは、そうはいえない。

 

戦時中、日本はアメリカという強大な国家を敵として戦っていた。外敵の脅威に直面したとき、団結を固めて外敵に立ち向かおうという気運が高まるのは、古来、どの人間集団にも見られた普遍的な現象である。

「世界でいちばん個人主義的」といわれてきたアメリカも、その例外ではない。たとえば、ソ連による核攻撃の脅威に怯えていた時代には、団結を乱す異分子を排除しようとして、「赤狩り」の嵐が吹き荒れた。

戦時中、日本人が見せた集団主義的な行動も、外敵の脅威にたいする普遍的な反応であり、べつに特殊なものではない。それを「日本文化に特有な集団主義」の証と見誤ってしまったわけである。

なぜ見誤ったのだろうか? 最大の原因は、「基本的帰属錯誤」という思考のバイアスではないかと考えられる。

「帰属」というのは、原因を何かに「帰する」こと、すなわち、原因の推定である。

「基本的帰属錯誤」というのは、人の行動の原因を推定するとき、その人がおかれていた状況の影響力を見逃して、その人の内部にある特性が原因だと考えてしまうバイアスである。

このバイアスは、きわめて強固で、状況の影響力をいくら強調しても、なかなか消えないことが知られている。

戦時中に日本人が見せた集団主義的な行動を思い出したとき、この基本的帰属錯誤に陥ると、「外敵の脅威にさらされている」という状況が見えなくなる。そして、集団主義的な行動の原因は、「日本の集団主義的な精神文化」という内的な特性だと考えてしまうことになる。

その結果、『菊と刀』の読者の多くは、「日本人は集団主義」という指摘に納得してしまい、「日本人は集団主義」という見方が「常識」になってしまったのだろう。

今回の話をまとめてみよう。

科学的な比較研究は、「日本人は集団主義」という「常識」を否定している。この「常識」は、欧米優越思想が蔓延していた19世紀の遺物にすぎない。

しかし、基本的帰属錯誤が災いして、日本人の戦時中の集団主義的な行動が、この「常識」を証明する「動かぬ証拠」に見えてしまった。

その結果、この「常識」は、外国人が共有する「日本人」のイメージになり、日本人自身の自己イメージにまでなってしまったのである。

この話について、さらに詳しく知りたいという読者は、拙著『「集団主義」という錯覚』を参照していただきたい。

(「『日本人=集団主義』論という危険思想」につづく)

【参考図書】
杉本良夫&ロス・マオア 『日本人は「日本的」か』 東洋経済新報社 1982 (『日本人論の方程式』 ちくま学芸文庫 1995)
髙野陽太郎 『「集団主義」という錯覚 ― 日本人論の思い違いとその由来』 新曜社 2008