「日本人は集団主義」という幻想

じつは根拠なんてなかった…?
高野 陽太郎 プロフィール

ローウェルは、「アメリカ、ヨーロッパ、中近東、インド、日本と東に行くほど、人の個性は薄くなっていく」と書いている。

その半世紀ほど前、哲学者ヘーゲルは、『歴史哲学講義』のなかで、「西のヨーロッパから東の中国へと向かうにつれて、個人の自由の意識が減少していく」と論じていた。そっくりである。

欧米の植民地がなお拡大をつづけていた時代、ヘーゲルのこうした思想には、抗しがたい魅力があったのだろう。

〔PHOTO〕iStock

アメリカを「西の端」、日本を「東の端」に置くと、アメリカ人と日本人は対極的な存在ということになる。

そのアメリカ人は、「強い自我をもつ個人主義的な国民」ということになっている。とすれば、その対極にある日本人は、「はっきりした自我をもたない集団主義的な国民」であるにちがいない。

「日本人には個性がない」というローウェルの主張は、こうした「先入観」にもとづく演繹的な推論の産物だったのではないか。

太平洋戦争のころまでには、ローウェル流の日本人観は、欧米の知識人のあいだでは、すでに「常識」になっていたらしい。

 

大戦中、アメリカ政府は、「敵国」日本を知るために、著名な歴史家、社会学者、人類学者などを集めて会議を開いた。その席上、大半の専門家が「日本人は集団主義」という見解で一致したという。

アメリカ人にとって、個人主義は、アメリカ文化の誇るべき特質である。民主主義の礎であり、独創的な科学研究や起業家精神の源である。

そう信じてきたアメリカ人にとって、「敵国」日本の文化が、個人主義の対極にある集団主義という特質をもっているというのは、しごく当然のことと感じられたにちがいない。

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