日本には「教育無償化」が本当に必要なのか? 徹底図解で考える

「勘と経験」で政策を決める危うさ
畠山 勝太 プロフィール

トクをするのは本人だけではない

しかし、前述のように教育を受けたメリットはその教育を受けた個人以外にも波及することがある(外部性)。これの代表例として、知識が他者へと波及すること(スピルオーバー)を挙げることが出来る。

国際教育協力業界では、「女子教育は家族全体を教育するのと同じ効果がある」と言われることがある。実際、母親の教育水準が上昇すると、その子供の教育水準も上昇する傾向があることが広く確認されている。

これはもちろん、女子教育の拡充が起こると、教育を受けている期間の分だけ平均初婚年齢も上昇することによって、子供を産める期間が減少する。

これにより女性が産む子供の人数(合計特殊出生率)が低下し、同じ資源量の下でも子供一人当たりの教育投資額が上昇することにもよる。この働きは、教育の価値を理解した女性が子供1人当たりにより多くの教育投資を行うために産む子供の人数を少なくすることによってさらに強化される。

さらに母親の教育水準が高い世帯ほど世帯所得も高い傾向があるので、これにもよって子供一人当たりの教育投資額が上昇するという効果に拠る所もある。

しかしそれだけではなく、より良い家庭教育など(卑近な例として子供の宿題を見てあげられることなどを挙げられる)を通じて母親から子供への知識のスピルオーバーが発生する点も見逃せない。

教育投資の外部性は、知識のスピルオーバーだけでなく、治安や公衆衛生でも見られることがある。

 

一般的に個人が教育を受けると、罪を犯したときに失う所得が増加したり、健康に関する情報収集・解釈能力が向上したりするため、罪を犯さなくなったり健康状態が良くなったりする。

犯罪は治安という形で、健康は公衆衛生という形(地域住民の知識が十分でなかったためにエボラ出血熱が感染拡大したり、近年先進国でも予防接種を拒否する個人がいるために風疹が流行したり、という例が挙げられる)で、地域全体に影響を与える。

治安の悪化が経済活動に悪影響を及ぼすのは、私の住むアフリカのナイロビやヨハネスブルクのような大都市を見れば明らかだが、日本でも治安が悪いとされる地域で経済活動が盛んな所は稀である。

また、公衆衛生の悪化が経済活動に悪影響を及ぼすのは、日本から遠い所であればエボラ出血熱やジカ熱の拡大からも明らかだが、2000年初頭にアジアでSARSの感染拡大が起こった時のことを思い起こせば、決して日本とて無縁な話ではないだろう。

しかし、個人が教育を受けるかどうか選択する際に、このような外部性まで考えることは一般的ではない。このため、個人に教育投資の水準を完全に委ねてしまうと、この外部性の分だけ社会的に望ましい水準よりも過少な教育投資水準になってしまう。

さらに、個人が教育を受けることで政府財政に恩恵がもたらされるという社会的収益が存在するため、政府は外部性に加えてこの分も公教育投資を行う余地がある。

教育によって個人の生産性が向上した場合、所得税の税収が向上するだけでなく、特に教育を受けていなければ貧困層から脱出できず生活保護による支援が必要だった層に対しては公的扶助の減少という公支出の削減効果も期待できる。

さらに、教育の普及で国民の健康水準が向上すれば、より働けるようになった個人からの税収だけでなく公的な医療費の削減につながるし、治安が改善すれば法人税や固定資産税の増加といった税収増だけでなく、刑務所の運営といった公支出の削減も期待できる。

しかし、日本ではまだこの外部性と社会的収益がどれぐらいの規模のものになるのか不明瞭な所が大きい。今後の公教育支出のあり方を考えるためにも、この分野の分析がより一層進むことが望まれる。