フジテレビはいつまで「内輪ノリ」を続けるつもりか

ギョーカイの仲間意識はもうたくさん
松谷 創一郎 プロフィール

内輪的テレビ空間が機能していた時代

苦しむフジテレビについては、元社員だった吉野嘉高による『フジテレビはなぜ凋落したのか』(2016年/新潮新書)が詳しい。その主旨は、輝かしい過去の栄光に引きずられているというものだ。その指摘は、大筋で正鵠を射ている。

具体的には、フジテレビが切り開いた視聴者と“お約束”を共有する独特の内輪的テレビ空間が機能しなくなっていることが指摘できる。

80年代以降の内輪的テレビ空間とは、バラエティ番組にプロデューサーなどのスタッフを登場させるなどする楽屋ノリ、あるいは既存テレビ番組のパロディを盛り込むことによって成立していた。視聴者はそんな“ギョーカイ人”の仲間になったような気分で、テレビを楽しんでいた。

その代表的な番組は、やはり1981年からスタートした『オレたちひょうきん族』だろう。それまで土曜日20時枠で大人気だったTBSの『8時だョ!全員集合』は、この裏番組によって徐々に低迷し1985年に幕を閉じた。

このふたつの番組には、明確な差異があった。

 

劇場で上演されるステージを生中継する『全員集合』は、「演芸的」と言えるスタイルだ。ステージと客席のやり取りはあったものの、そこには明確に「演じる側/観る側」という立場の違いがあり、さらにステージとテレビ視聴者の間にも距離が生じていた。あくまでも番組は、劇場のステージ上で完結するものだったのだ。

対して『ひょうきん族』は、テレビの裏側を見せる内輪ノリが“ギョーカイ”の魅力として視聴者に訴求した。

そこで見せられるパロディやスタッフが出演するその楽屋ノリは、いわば視聴者的な感覚でもあった。「タケちゃんマン」などのパロディはゴッコ遊びのノリであり、スタッフが「ひょうきん懺悔室」などに登場するのも視聴者感覚に近かった。

つまり、「親近感のあるギョーカイ」としての魅力だった。それによって、送り手と視聴者との独特の仲間意識が醸造されていった。

『全員集合』が計算された芸をステージで披露しているのに対し、『ひょうきん族』はテレビのなかで楽しく遊んでいる芸能人を写しているようなものだった。

もちろんそこでは、番組と視聴者の間で明確なヒエラルキーがある。[送り手-受け手]の立場は変わらないからだ。

しかし、インターネットがなかった時代には、舞台裏も映されるその“ギョーカイ”ノリを視聴者が受け取ることで、あたかもその仲間になれたかのような感覚に浸れたのである。

フジテレビが開拓した内輪的テレビ空間は、『ひょうきん族』と相前後してさまざまな番組に波及していく。『オールナイトフジ』(1983年)、『夕やけニャンニャン』(1985年)、『とんねるずのみなさんのおかげです』(1988年)などがその代表的な番組だろう。

そのすべてにとんねるずが出演しているのもけっして偶然ではない。「仮面ノリダー」がヒット企画となり、石田弘プロデューサーをパロディにしたキャラクターを登場させるなど、とんねるずは80年代のフジテレビの“ギョーカイ”ノリを最大化したプレイヤーだった。