# 文学

「実に実に実に不快だった」その日の三島由紀夫

話題の未公開インタビューを読む
平野 啓一郎 プロフィール

「あれを読んでくれればわかる」

今の憲法では、僕は正当防衛論が成り立つと思うんですよ。死なないために今の憲法の字句をうまくごまかして自衛隊を持ち、いろんなことをやって日本は存続しているんですね。日本はそういう形で何とか形をつけているんです。でも、それはいけないことだと僕は思うんですよ。人間のモラルをむしばむんです。」(告白 三島由紀夫未公開インタビューp.54)

本インタヴュー中に見られるこうした一種の飛躍として、今日、政治的に注目されるのは、その日本国憲法観だろう。三島は、所謂「押しつけ憲法」論に立って、これを「偽善」の根源として批判する。

ベスターはやはり、まったく穏当に、「結局、多くの人は非常に素朴な気持ちで、素直な気持ちで、平和憲法を支持しているんじゃないでしょうか。」と問うている。

対して三島は、九条のとりわけ第二項を挙げて、自衛隊は違憲であり、にもかかわらずこれを認めていることを「人間のモラルをむしばむ」(強調平野)という意表を突く言葉で批判している。

彼が市ヶ谷で「行動」を起こした時も、その「大義」は、憲法改正だったが、昨今の改憲議論でこういう三島が再び引用される可能性はあるだろう。

 

三島は、「僕にとっては、僕の小説よりも僕の行動のほうがわかりにくいんだという自信がある」と語る。それ故に、彼の文学を彼の思想、政治的行動から切り離して考えようとする人もいる。

しかし、彼の思想、文学こそは、その不可思議の実体としての生の表れであることは間違いない。

三島自身が「あれを読んでくれればわかる」と言う『太陽と鉄』は、筋肉と言葉とを、片やトレーニング器具の「鉄」と、片や書物と組みあわせて、鍛え、造形し得る外在的な異物として、対照的且つアナロジカルに、同格に語ってゆく。

三島は、両者の均衡と最終的な一致を夢見つつ、その無理まで既に予感していて、全体に明晰だが、混沌としており、その暗い情念のレトリックに充ち満ちた文体には、異様な迫力がある。

その孤独な個性は、苦痛という、決して死そのものではなく、むしろ死への接近を告げる生の警報を鳴り響かせながら、「絶対」の「悲劇」を渇望する共同性を夢見る。しかし、その「同苦」の「戦士共同体」は、『金閣寺』で語られた滅亡のユートピアよりも、ましてや天皇制よりも、更にその構成員を限定する隘路へと追い込まれている。

三島を考える上で非常に大きな示唆を与えてくれるドイツのエルンスト・ユンガーが、独自の形態学に基づいて「剣を持つ腕を動員するだけでは十分でなく、骨の髄までの動員、最も精妙な自律神経にまで至る」総動員を求め、「少なくとも間接的にさえ戦争遂行と関わりをもたない運動は――たとえ自分のミシンで作業する女性家内労働者のそれであれ――、もはや存在しない」と主張したこと(『総動員』)と対比的にも見られよう。

没後50年の大きな節目に向けて、三島という存在は再考を求められている。

三島由紀夫の告白

『群像』2017年9月号より