<ネット右翼十五年史>なぜ、彼らは差別的言説を垂れ流すのか

日本の「空気」を作る人々の研究
古谷 経衡 プロフィール

前述した櫻井氏がその典型であるように、こうした言論人・文化人には元来が新聞記者やニュースキャスター、大学教師やライター、テレビ業界関係者など知的労働に従事してきた者も多い。その論は粗雑で単純な場合もあれど、体系的な何かは、辛うじて確立されている状態にある。

そうして彼らは、決まって「差別ではなく事実を言っているだけ」と逃げる。実際そうなのだ。例えば『呆れた韓国社会』という論考があるとしても、その中に「韓国人を皆殺しにせよ」とは、流石に書かれていない。

 

しかし、それこそが問題の核心の一つなのである。彼らに寄生するネット右翼は、宿主の著す書籍・記事のタイトルや文脈、時として差別と言論のギリギリの境界線上にある「舌鋒鋭い」発言の行間を針小棒大に解釈し、宿主の社会的権威(大学教授、講師、作家、評論家、〇〇の子孫等)をそのコピー言説の正当性の根拠の一つとして、無思慮に独自の「差別的味付け」を施して拡散させていく。

そこで、例えば「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も皆殺し」等といった差別的・暴力的言説が生まれる(実際、これらの軽蔑すべき言説は、ネットで検索すればいくつも見受けられる)。

自らの言葉を持たない人々

ネット右翼の差別的言動の温床は、間違いなく保守系言論人や文化人にその根本的責任があるが、ネット右翼に寄生される側である当の宿主本人は、その点を追及されると「私はそこまでひどい差別的発言はしていない」と言う。ここに彼ら特有の「逃げ道」が設定されていると思う。

例えば有名アーティストが、ライブの舞台上で「俺、納豆あんまり好きじゃないんだよね」と言ったとする。それを耳にした熱心なファンが、水戸の納豆メーカーに放火しに行く。刑事的にはアーティストに責任はない。逮捕も起訴もできぬであろう。しかし確実に放火の「理論的支柱」の一端はその人物にある。

「2.26事件」における陸軍皇道派と北一輝ほどの繋がりはないにせよ、保守系言論人や文化人に寄生するネット右翼は、このように差別と言論の境界にあるきわどい権威的かつ排外的な言説を終始拡大再生産して、ネット空間のみならずリアル社会にも憎悪の種を頒布するに至っている。

くり返すようにネット右翼とは、自ら体系的な理屈や、自らの言葉を持たない人々である。そして彼らの誕生と栄枯盛衰には、必ず「既存の」保守系言論人や文化人の存在がある。

思い浮かべていただきたい。巨大なクジラが海中を遊弋している。そのクジラの背部や下腹部に当たる死角には、必ず小魚たちがクジラに寄生するように共に遊弋しているだろう。この場合、クジラは保守系言論人や文化人であり、その背部や下腹部に隠れ、まるでクジラに寄生するように共に泳いでいるのがネット右翼である。

私はネット右翼をこのように定義した上で、この前提条件のもと、本稿を進めていきたい。もっとも近年では、クジラ本体の体積よりも、共に遊弋する小魚=ネット右翼の方が黒山のように大きく見えたり、クジラ本体の航海方針が、本来追従者に過ぎないはずの魚たちの意見に左右されたりする場合が増えてきているのだが。