江戸の城下町では離婚・バツイチが当たり前だったのはなぜか

知られざるお江戸の不倫事情
河合 敦 プロフィール

みなさん、どれが正解だと思いましたか。迷うのは、Xかも知れません。正解は(3)です。

Xが誤りなのは「分割相続」という箇所。これは鎌倉時代の武士の相続方法で、江戸時代の農民は大地主でないかぎり、次男以下に田畑を分割するのは認められていませんでした。

いずれにしても、時代劇に出てくるように、「一方的に夫が三行半を突きつけて妻を家から追い出す」と理解をしていたら、不正解を選んでしまうことになるわけですね。

離婚、バツイチ当たり前

ところで、江戸時代の離婚率は、かなり高かったのではないかと考えられています。とくに将軍のお膝元である江戸の町の離婚率が群を抜いていたようです。江戸は経済発展が急激で街がどんどん拡大していました。これを当て込んで地方から大工などの職人をはじめ、多くの労働者が流れ込んでいたからです。

また、参勤交代で江戸にのぼってくる単身赴任の武士も多い。このため、女性に比べて男性の人口比が極めて高かったことから、容易に結婚でき、離婚してもいくらでも嫁ぎ相手がいたので、結果としてバツイチはあたりまえで、結婚と離婚を繰り返している例もあるのです。

なかには、将来相手が嫌いになったらすぐに離別できるよう、結婚前に夫から離縁状をもらっておく事例もあったというのですから、驚きです。強引に離縁状を夫に迫って書かせ、他の男と家を飛び出す女性もいました。

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また、離縁状をもらうために家事を怠けたり、金を湯水のように使ったりして夫を精神的に追い込む女もいたそうですから、ちょっと信じられません。

なお、夫が妻を離縁する場合、持参金は全額返済し、妻に落ち度がなければ慰謝料を払う必要がありました。ちょっと妻に有利な気がしますね。なかには驚きの離婚例があります。

 

小石川原町に住む医師の天公法現は、独身の鍼灸師・妙仙と結婚し、正月3日に同居したところ、妙仙は18日に元の住居に逃げ戻り、仲人や親族に法現のひどさを訴え、離婚を求めました。

理由がかなりぶっ飛んでいます。なんと、嫁いだその日から翌日まで18回も性交したうえ、それから10日間は昼夜なく交わり続け、妙仙は「陰門腫痛」み、裂傷を負ったというのです。これが強姦であったかどうかは不明ですが、セックスレスも離婚の原因であるが、「し過ぎ」も当然、その理由になるのでしょう。

しかし、このトラブルはこれで終わりませんでした。親族が怒鳴り込んだので、法現は「妙仙を養生させたうえで離婚話を進める」と約束したため、そこで彼女を家に戻したところ、その夜、なんと妙仙を再び強姦したというのです。

これで怒った仲人と親族は、慰謝料を法現から取って、妙仙を離婚させたのです。これだけでもビックリですが、驚くべきは夫婦の年齢で、なんと妻の妙仙は50歳、夫の法現は91歳だったのです。

「週刊現代」では「死ぬまで……」という企画を見かけますが、当時からそれを実践していた人もいたわけですね。

それはともかく、前述のとおり、一般的に女性には離婚請求権はなく、頼んでも夫が離縁状を出してくれなければ離婚は成立しません。例えば飲んだくれ亭主や暴力を振るう夫を持つ妻はどうしていたのでしょうか。