ノンフィクション作家の石井光太さんが、自ら生んだ子供を捨てるワケありの母親たちを密着取材する連載第2回。彼女たちが「我が子を育てられない」事情とは?
19歳でわが子を捨てたその母親には、家と呼べる家がなかった。
小学生の時からホームレスのようによその家を転々とし、その後は里親の家に暮らしたり、風俗店の待機所で寝泊まりしたりしたのだ。
彼女は幼さの残る顔で、ジュースを飲みながらあっけらかんと言った。
「わたし、家庭のイメージがぜんぜんないんです。どういうものかわかんない。だから子供とか、子育てとか言われても、はあって感じなんです。赤ちゃん産む前も、産んだ後もそうです」
背が低く、太った体に薄ピンクのスカート。彼女は家庭というものをわからないまま子供をはらみ、わずか数日で捨てた。
今、10代の女性の育児困難が注目を浴びている。未成年の女性が赤ん坊をトイレや公園に遺棄するという事件も後を絶たない。
彼女のケースから、10代の女性が子供を捨てる経緯について考えてみたい。
森下真央(仮名)は秋田県秋田市で、シングルマザーの子供として生まれた。父親は真央を認知したものの、別の女性と結婚していた。養育費ももらうことができず、母親は真央を1人で育てなければならなかった。
とはいえ、秋田では仕事と呼べる仕事などほとんどない。母親は真央が4歳になるのを待ってから神奈川県平塚市に引っ越し、アパートを借りて暮らしはじめた。
母親は市内の工場に勤めていたが、仕事が終わると毎晩のように飲み歩いていた。男をつくって支払ってもらっていたのだろう。真央は物心ついた時からアパートで留守番をさせられており、夜ごとに見知らぬ男につれられて泥酔した母親が帰ってくるのを見ていた。
小学5年生になると、母親は数日に一度しか帰って来なくなった。男のもとに泊まるようになったのである。行先も告げず、お金も置いていかなかったことから、真央は空腹と寂しさのあまり、似たような家庭環境の友人の家に入り浸るようになる。
その家には、別の同じような境遇の先輩たちがたむろしていた。真央は友人から先輩へと交友関係を広げ、6年生になる頃にはいくつもの家を転々とするようになっていた。その家でご飯を食べさせてもらったり、洗濯をさせてもらったりしたのだ。