人生って何ですか?小島慶子さんから佐藤愛子さんへの5つの質問

奥義を教えてください
佐藤 愛子, 小島 慶子

書くことしかできないという覚悟

小島 文学少女ではなかった佐藤さんは、どうして作家になったんですか。

佐藤 最初の結婚相手が、軍隊でモルヒネ中毒になって別居したまま死んでしまったんです。その時私は二十五歳で、父も死んでいたし、母は、このわがまま娘がどうやって生きていくんだろうって心配したんですよ。縫物とかいけ花とか、身すぎ世すぎになるものは何一つ身についてない、金持ちの後妻にやってもすぐがまんできずに出てくるだろうし。

うちの父が、私みたいな性格だったの。何をやってもうまくいかなかったのだけど、五十歳を過ぎたころには流行作家になっていました。作家というのは人付き合いできなくても、書くものさえよければやっていける。それを見ていた母が考えたのがもの書きだったんです。

小島 お母様、慧眼ですね。

佐藤 慧眼……というより浅知恵です(笑)。私が結婚して岐阜で暮らしていたとき、舅姑に腹の立つことがあると、そのウップンを父に書いて送っていたの。父が手紙を読んで笑って、「愛子は文才があるぞ」と。普通ならジメジメした情けない手紙になるのが、舅姑の人物がイキイキと書けているから。これは嫁になんか行かせるより作家にしたほうが良かった、と言ってたのを母は思い出したんです。

小島 じゃあ作家・佐藤愛子が生まれたのは……。

佐藤 悪口から!

小島 そうなんですね(笑)。舅姑の悪口とか『戦いすんで日が暮れて』のように書かずにはいられないこと以外に、職業として作家になって、書くのがつらいときはありましたか。

佐藤 嫌だと思ったことはないですね。だってそれ以外にできることがないんだもの。いろんなことができる人はやっぱり脱落していきましたよ。売れない小説書いて、いまみたいにいろんな賞もないから文学雑誌の編集部に原稿を持ち込んで、「読んでくれましたか?」って何度も電話をかける。あんまりうるさいから編集者が読んでくれて、読んだって聞くと批評を聞きに行ってボロクソに言われる。そんな数年間を過ごしたんです。

小島 いつかきっと認められるはずだと信じていたんですか。

佐藤 いや、思ってなかったです。野垂れ死にするかもしれないけど、これしかできることがないからやるしかない。覚悟はしてました。「あそこの出戻りは何やってんだ」なんて世間じゃ言ってたでしょうね。そういうことに平然としている神経も必要なんですよ。

小島 お母様も、そろそろお嫁に行ったら、とはおっしゃらなかったんですね。

 

佐藤 嫁に行かせても、どうせだめになるから見守るしかなかったんでしょうね。私が直木賞を受賞して一番喜んだのは母だったと思いますよ。

小島 私も、いま基本三、四時間しか寝ないで働いているので、この年でこんなに徹夜もして、突然死しかねないなあ、死んだらどうなるのかなあ、と考えたりもするんです。

『るるらいらい』にも書きましたが、小学校のときに仲の良かった、二十代半ばで亡くなった男の子がいます。それから二十年ぐらいたったときに同級生とばったり会って、彼が自死だったと聞いたんです。私自身、不安障害になったとき自殺願望が強かったので、じゃあ死ななかった私と、自死を選んだ彼との間にどんな違いがあったのか、そのとき考えて初めて泣いたんです。

ずいぶん身勝手な感じかたではあるんですが、忘れていた人を思い出して、そのとき彼は私の中に「いる」人になりました。