2017年は「ヤクザの終わり」元年となるのか。猫組長の答え

かつての「任侠」を取り戻すことこそが…
猫組長 プロフィール

もう一度問う。悪とはなにか

こうなった責任の大部分はヤクザ側にあるというのが私の考えだ。また、あまりに厳しい法規制から人権問題を訴える現役組員もいるが、これもお門違いで、そうした主張をするのならば、まずヤクザを辞めてからでなければ世間も聞く耳は持たないだろう。

2017年は中世から続いたヤクザの終わりの元年となるのか、はたまた外的環境の激変により淘汰されさらに先鋭化するのか。

「国定忠治と清水の次郎長」も含めて、ヤクザが生き残るヒントはすでに歴史にある。かつての任侠を取り戻し市民の味方へと姿勢を改めるべきであろう。そもそも組織トップが集合して犯罪を共謀する組織など、すでに潰れているはずだ。

 

狙いは末端からトップへの向かう逮捕であり、そうした「できの悪い末端」こそが振り込め詐欺などに直接的、間接的に関与するのがパターンだ。地場に密着して一般市民と利益を供与しながら「お目こぼし」に与っている組織も多くあるのだから、少なくとも、早急に市民経済を食い物にすることは末端にいたるまで禁止するよう徹底管理するべきだろう。

いみじくも「共謀罪」によって突き付けられた「悪」の意味だが、はたして「悪」は社会から駆逐されるべきものなのか。人は「悪事」を覚えながら「善き事」を知るものであり、悪を知らない善がいかに「独善的」かは、ナチス政権下で行われた鬼畜の所業が証明している。ナチスこそ自らの信じる「善」を追求し「悪」を徹底的に駆逐した。

「必要悪」という言葉をいたずらに振り回すことを良しとしない私だが、やはり「悪」を知ることは、より善く生きるため必要なことではないだろうか。ぜひ、本書を手に取っていただきたいと思う。