「復興五輪」という言葉に、拭いきれない違和感が湧いてくる

一体なにを「復興」させるというのか
森田 浩之 プロフィール

結局、誰のための復興か

2020年大会の場合、復興五輪という言葉はその時々の情勢によって強調されたり、打ち消されたりした。いうなれば、被災地は2020年東京大会の招致と、その後のPRに利用されたことになる。

そもそもなぜ東京が、多くの犠牲があった被災地を「代表」できるのか。

須田善明・女川町長が河北新報のアンケートにこたえたように、これは〈「被災3県五輪」ではない〉のだ。彼の言うように〈観光振興など過剰な期待は方向違い〉と考えるくらいがちょうどいいのかもしれない。

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1964年の東京オリンピックは、戦後復興の象徴と言われる。しかし東京都心が整備されただけで、地方との格差が拡大したという側面もある。

2020年大会にも同様の問題がある。オリンピックに向けて再開発やインフラ整備が進み、一極集中が加速している。

しかし1964年大会に比べてさらに厄介なのは、菊地健次郎・多賀城市長が河北新報のアンケートにこたえたように「東京に建設需要が集中することになり、結果として国の予算が被災地に回らなくなる」ことだろう。

 

それでも、このオリンピックは東日本大震災の復興五輪と呼ばれるのだ。

復興五輪でいう復興とは、どこのためのものなのだろう。東北の被災地なのか、それとも開催地の東京が潤うためのものなのか。いま確認しておくべきなのは、その点だろう。

【つづきはこちら:「星野源にも絶対わからない『東京五輪を開く理由』」】