加計学園の急成長を支えた「特異なビジネス」と「政界人脈」

シリーズ【加計学園とは何者か】最終章
現代ビジネス編集部 プロフィール

区画北側の山腹に、全寮制の「吉備高原学園高校」が開校したのは1991年。運営は岡山県などの地元自治体と加計学園が共同出資する第三セクター方式で、理事長に長野知事、学園長に勉氏が就任するという、全国を見渡しても前例のない「知事肝いり」の事業だった。

約50億円の学校建設費用は全額岡山県がもち、法人設立費用は県が2750万円、加計学園が2000万円を負担したという。もちろん、学校職員は大半が加計学園からやってきている。

全寮制・単位制という珍しいシステムを採用した吉備高原学園高校には、当初から意図していたわけではなかったが、他の学校に馴染めなかった不登校の生徒、中退経験者といった生徒がやがて全国から集まるようになった。

吉備高原都市構想には、中国銀行やバイオ企業の林原など、地元岡山を代表する企業も参画・出資していた。そうした中で、系列校でも唯一となる全寮制高校を開くことは、加計学園にとってもチャレンジングな事業であったことは間違いない。しかし——。

 

バブル崩壊で、公共事業費の大盤振る舞いを続けた長野知事の県政はあっという間に行き詰まった。気がつけば岡山県は全国最悪の財政難に悩まされるようになり、歳出を削らなければ「財政再建団体」転落、つまり破綻も避けられない情勢となった。県民は「野放図なハコモノ投資を行った長野知事の責任だ」と追及の声をあげた。

吉備高原都市構想も頓挫した。町の建設開始から10年が経っても、住宅区画はほとんどが売れ残り、人口はわずか2000人にしか増えない。大企業や大手商業施設が進出してくるはずもなく、町の中心に建つ商業ビル「きびプラザ」はテナントが埋まらず歯抜け状態となった。1996年に長野氏が知事を引退するとともに、計画は根本から見直され、翌97年の県行政改革大綱で事実上凍結された。

街区中心部の「さんさん広場」に人影は見えない(Photo by pentium-dualcore, CC BY 3.0) 
住宅用地は大半が埋まっていない区画もある(Photo by Tatushin, CC BY-SA 3.0)

現在も、同地にある吉備高原学園は加計孝太郎氏の次男・役氏が学園長、岡山県知事で元天満屋社長の伊原木隆太(いばらぎりゅうた)氏が理事長に就いて運営されている。2007年6月には、鈴木宗男元衆院議員の元秘書で、現在は加計学園系列校の千葉科学大学危機管理学部教授を務めるムウェテ・ムルアカ氏が訪れて講演を行った。

「地方移住」「田舎暮らし」が注目を浴びるようになった現在、かつてと比べ格安で土地が売り出されていることもあり、吉備高原都市には再び少しずつ移住者が増え始めているという。だが、依然として住宅区画には広大な空き地が広がっており、巨大な公共施設にも人の姿はまばらだ。

現在も吉備高原学園高校には300人あまりの生徒が在籍し、勉学やさまざまな活動に励んでいる。その教育的意義は確かにあるだろう。しかし同学園を包括し、加計勉氏もまたその夢を賭けた、壮大な未来都市構想そのものは多額の税金を呑み込んだすえ、未完に終わった。