加計学園の急成長を支えた「特異なビジネス」と「政界人脈」

シリーズ【加計学園とは何者か】最終章
現代ビジネス編集部 プロフィール

さらにこの時、勉氏は大学新設の「戦略」や「勘どころ」についても明かしている。

〈(記者)ーー(大学に)個性があれば文部省も認めてくれる?

個性に加えて、時代に対応できているかどうかだ。コンピューター関連の学部にしても、一時は関心が高まったが、もうこの学部、学科はそろった感じだ。いまの人気は『看護』『療法』などで、宮崎でもこうした学科を設ける(注・その後の宮崎での経緯は後述)。

ーー学校経営のマーケティングが不可欠ということ?

そう。時代、社会のニーズから、地域の進学率、大学数、学部の性格などを綿密にみていけば見通しはつく。それでこそ時代に合った人材を養成できる〉

 

勉氏が自ら語っているように、1990年代以降、加計学園は時流に乗って看護系・福祉系の学校・学部学科を増やすなどの施策を打ち、急拡大を遂げていった。もちろん、誘致する自治体側の希望に学園側が応えようとしていたこと、また学園が打ち出す「ニーズに合わせた教育の提供」が、学園自身の興隆に寄与しただけでなく、地域や社会に対する貢献にもなったことを疑う余地はないだろう。

ただ、その事業の中には少なからぬ額の税金がなし崩し的に投じられた事例や、あるいはその是非が地元で激しい論争を招いた事例もある。

県知事が理事長の「吉備高原学園」

加計学園が本拠地を置く岡山県の行政を語るうえで決して無視できないのが、1972年から1996年、6期の長きにわたって県知事を務めた長野士郎氏だ。元内務官僚・自治官僚の長野氏は、戦後のいわゆる「昭和の大合併」を主導し、「地方自治の神様」の異名をとる辣腕官僚だった。

その長野氏が、岡山県知事就任直後にぶち上げた目玉政策が「吉備高原都市構想」である。岡山県中部に横たわる吉備高原の山中に、当時注目されていたバイオ関連企業などを誘致、「テクノポリス」と呼ばれる一大都市圏を作り上げるという壮大な計画で、構想委員会には、SF作家の小松左京氏など著名な識者が名を連ねた。

計画区域とされた土地は1800ヘクタール(東京ドーム385個分)、その中に「産業区」「居住区」「農用区」「センター区」など7つの区画を設ける。最終的な見込み人口は3万人、総事業費は745億円で、1980年代半ばから断続的に開発が始まった。

岡山県による吉備高原都市計画資料
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この吉備高原都市は「人工都市」である以上、そこには学校も必要になる。構想の中の教育部門を担当したのが加計学園だった。