――こういう形で村上さんを取材するのは本当に久しぶりです。
村上: 2006年6月5日の朝、逮捕直前に牧野さんに電話しましたよね。もう10年以上も前になります。何が起きていたのかフェアに書いてくれたのは牧野さんぐらいでした。
――当時、村上さんを直接取材していた記者は日経社内では私ぐらいでした。でも、逮捕当日はまったく出番がありませんでした。村上さんを取材したこともない記者が書いた記事で翌日の1面が埋まっていました。
村上: 残念でしたね。牧野さんには感謝しています。
<フジテレビジョンに経営改革を迫るなどしていた村上氏は大手メディア経営陣から敵視され、「拝金主義者」「ハゲタカ」のレッテルを貼られていた。系列のテレビ東京株を村上ファンドに取得されていた日経も例外ではなく、編集局内では「村上ファンドの宣伝になるような記事は書かないように」という暗黙の合意ができていた。今風に言えば「忖度」である。
当時、日経に編集委員として在籍していた私は、国内では携帯電話で村上氏を自由に取材できる唯一の記者だった(海外ではニューヨーク駐在の同僚記者が同氏とパイプを持っていた)。実際、誰も知らないネタもいくつか仕入れていた。村上ファンド側を取材するのは至難の業であっただけに、それなりの記事を書く自信はあった。
だが、「村上バッシング」にくみしなかったから社内では煙たがられていたのか、ほとんど何も書けず、逮捕当日にも出番を与えてもらなかった。>
――ただ、独立を機に『不思議の国のM&A』を出版し、そこで村上ファンドについて書けなかったことを書きました。改めてお聞きしますが、今回、どうして本を書く気になったのですか。
村上: 2015年11月に証券取引等監視委員会の強制調査を受けたことが大きいですね。最初の1週間は(相場操縦など違法行為があったと決めつけるような)一方的な情報が流されて、その後は強制調査がどうなっているのか何も情報が出てこなくなくなりました。そして今までずっと待っている状態です。
強制調査の結論が出るまで待ち続けてもいいのだけれども、僕はそれでいいとしても、家族のことも考えなくちゃいけない。やっぱり自分からも発信すべきではないのか、結局悪者扱いされるかもしれないけれども何も発信しないよりはマシではないか――こんな思いが家族にあった。そこで「父親の責任として、自分のやってきたことをきちんと書こう」と思い至りました。
――本の中でも最後に触れていますが、娘さん(長女の村上絢氏)は強制調査のストレスで死産をしてしまった。これも本を書く大きなきっかけになったのでは?
村上: それが一番大きなきっかけです。世の中にはやってはいけないことがある。法解釈だけの問題じゃない。娘は相場操縦の嫌疑がかかった時期、第一子の出産直前でまったく出社していなかったのだから無関係なはず。事前に調べれば妊婦かどうかくらいはすぐに分かる。
にもかかわらず、証券監視委は、強制調査時に第二子を妊娠していた娘を何日間にもわたって苦しめるようなことをやった。そして娘は妊娠7ヵ月で死産してしまった。本人に対する謝罪も行われていない。