冷し中華はナント「八百万の神」のひとつだった!?

ニッポン「冷し中華」考【後編】
堀井 憲一郎 プロフィール

冷し中華には「個性」がない!

高田馬場から早稲田エリアにはラーメン専門店がざっと80店ある。毎年、それらの店を全部食べて、小さな冊子にして、後輩が出店している早稲田大学の学園祭で売っている(あと年末のコミケットでも売ってますが)。

80店舗みんな食べるので、80店舗について語ることがいっぱいあってあっという間に原稿を書いてしまいますね。文章を書くのに大事なことは、文章表現技術ではなく、準備にどれだけ時間を割いたかだとあらためておもいますが、それはどうでもいいです、何年か前に、その冊子のために、冷し中華を食べ比べたことがあった。

80余店のうち、夏に冷し中華を出している店をチェックして、それを全部、食べようとした。なかなかいい企画だとおもった。

中華料理店では夏はだいたい冷し中華を出すが、ラーメン専門店はそうでもない。

出しているのは80余店舗のうち20数店だった。

順に食べていった。調査のうちでも実食調査というのはかなりきついものなのだけれど、そのへんは慣れているので、だいたい一食で2軒づつまわっていった(昼食か夕食に2軒まわる、というペースのこと。これがふつうの調査ペース。差し迫らない限りもう一食はラーメン以外の食事を摂る。これが無理のないペースである。太るけど。ただ2軒をあまり間合いをあけずに食べるのがポイント。2軒食べるのに30分少々くらいが理想)。

ラーメン激戦区に生き残っているラーメン店には、必ず個性がある。

うまいだけでは、東京ラーメン激戦区では生き残れない。うまいのはあたりまえ、さて、さらに何がありますか、という勝負になってくる。

この地区に支店を出してくる新店があとを絶たないが、「いや、ふつーに旨いんだから、ずっと今までのところで平和にやってたほうが幸せだったんじゃないですか」とよくおもう。一緒に食いにいくラーメン好き学生と「うまいね。でも、うまいだけだね、残念」とよく言い合ってます。そういう感想を抱いた店が、2年残ることはない。

そういう個性の強いラーメン店のみが生き残っているエリア。そこの冷し中華を食べてまわったのだ。

どれだけの個性が出ているかとおもって冷し中華を食べ比べたけれど、いや、残念ながら予想したほどの強烈な個性が感じられなかった。ラーメンを食べているときほど、強い個性がないのだ。どこまでいってもずっと同じものを食べつつけている感覚が残った。

いや、もちろんまったく同じではない。それぞれの店にそれぞれの工夫がある。具材は違うし、タレにも工夫があるし、麺はもちろん違うので、千差万別、激戦区らしく、いろいろバラエティに富んでいる冷し中華ではあった。

ただ、不思議なことに、みんな同じだという感想しか抱けない。差はあってもたいした問題ではない、みんな同じ冷し中華だ、というメッセージしか感じられないのだ。

ラーメンだと「サッポロらしい味噌ラーメン食ったなあ」「トンコツはここくらい豚くさいのにかぎる」「家系の濃厚さはココが頂点だな」「二郎系のくせにやさしいスープだな」という感想を持つのに、冷し中華にはそういう感想が持てない。

「うまい冷し中華を食べたなあ」「少し変わった冷し中華だったな」、これぐらいしか感想のバリエーションがなかった。

 

ラーメンとの決定的なちがい

これはどこまで行っても記事にならない。調査する人として、途中でわかってしまった。

10軒ほど行ったところでやめた。記事にもしていない。

冷し中華とラーメンとは、まったく違う食べものなのだ。

というか、冷し中華がかなり特殊な食べ物である。

ラーメンはどこまで個性を出せるかが勝負になっているのに、その個性で客を集めている当のラーメン店が、冷し中華となると、瑣末な違いを出すのが精一杯で「冷し中華たるもの」という中心から逃れられないのだ。

冷し中華にとって大事なのは、「日本人が冷し中華に期待している味」であり、各店舗の工夫ではない。こういうことは連続して10冷し中華を食べないと、なかなか気がつかない。