薬物依存は誤解されている
昨年の5月、ある著名人が覚せい剤取締法違反で逮捕されました。
その際、その人が逮捕される際に麻薬取締官にいった、「ありがとうございます」という発言が、マスメディアのあいだでちょっとした話題になったのを覚えているでしょうか?
私はこの一件を一生忘れないでしょう。
というのも、このことに関して、あるワイドショー番組でタレント・コメンテーターがしたコメントに、私は心底腹が立ったからです。それは、「ありがとうなんて軽いね。反省が足りない」というものでした。
これまで私は、何人もの覚せい剤依存症患者が、「逮捕された瞬間、思わず『ありがとう』っていってしまった」と苦笑まじりに語るのを聞いてきました。そしてその理由を聞くと、みな一様にこういいました。
「これでやっとクスリがやめられる、もう嘘をつかないでいい。そう思ったら、何だかホッとしてしまって」と。
要するに、あの「ありがとう」という言葉は、その人がそれだけ悩んでいた、苦しんでいたことを意味するものなのです。「軽い」「反省が足りない」などという批判は見当違いもはなはだしいというべきでしょう。
それにしても、つくづく薬物依存症者は誤解されていると思います。
たとえば、ある薬物依存症者が「やめられない」と告白した状況を想像してください。その状況、専門家であれば、「よくいえたね。回復の第一歩だよ」と褒めるところです。
しかし、世間一般の反応はどのようなものでしょうか。おそらく「反省が足りない」と非難され、それまでの業績や人格を否定され、社会から排除されるのがオチです。
しかも、そのような「辱めと排除」は、しばしば「犯罪抑止」という理由から正当化されています。
曰く、「どうせ治りっこない薬物依存症の治療なんかに力を入れるより、新たに薬物依存症を作らないことに注力した方が効率的だ。それには、取り締まりの強化に加え、薬物犯罪をおかした人への社会的制裁こそが抑止力となる」。
本当にそうなのでしょうか。社会的制裁が薬物犯罪の防止に有効である、という科学的根拠は存在するのでしょうか。