フィリピン「麻薬戦争」では、無実の民間人が大量に投獄されている

丸山ゴンザレス特別レポート
丸山 ゴンザレス プロフィール

「密告ありき」に問題アリ

私がこれまでに取材してきた、マニラを代表するスラム街であるトンド地区の住人にしても、「ドラッグを見たことあるか?」と質問をすると、「自分じゃないけど……」と前置きをしたうえで「知っている」「知り合いが持っている」などと、ドラッグが流通していることをほのめかしていた。

それほどまでに麻薬は一般的なアイテムとなっていたのだ。決定的な証言が得られなかった背景には、初見の外国人を相手に、麻薬に関してペラペラと話してくれる人は少ないということもあるのだろう。

一方、監督は、「取材中に実際にドラッグを見る機会はあった」と明言する。地元の人間であれば、ドラッグがそれほど遠い存在ではなくなる。普段は麻薬に触れることはない、と監督はいうが、いざ麻薬を題材に扱う映画を撮ろうとすれば、すぐに目にすることができるほど身近なものとして存在しているということなのだ。

(c)Sari-Sari Store 2016

本作の中で私がもっとも気になっていたのは、警察の捜査システムである。いかに腐敗が根深いとはいえ、日本の警察を基準に考えてみれば、警察への賄賂や、事件の握りつぶしなどの不祥事はいずれ発覚しそうなものである。ところが、現地ではいっこうに明るみに出ない。映画でもその点が問題視されていた。

私は取材を通じて、フィリピンの警察が自白や目撃証言といった「人の言葉」に重きを置いていることと、科学捜査の不徹底、証拠品の採用基準の甘さなどが問題となるのではないかと考えていた。

人の言葉など、警察の圧力でいかようにでもなる。証拠となる自白や目撃証言とて例外ではない。一方、科学捜査はほとんど浸透していないし、それにともない物証も重要とされていない。だから、警察の都合でシロがクロになるし、クロがシロになる。これがフィリピンの捜査の実態である。

 

監督自身もこの点については同意し、それは問題だと言ったが、同時にもうひとつ別の視点を提示してくれた。「むしろ密告が犯罪ではなく、当たり前のこととして行われていることが問題なのではないか」というのだ。

密告者が存在することよりも、それが捜査の前提に組み入れられてしまっていることが、フィリピンの警察や社会が発展途上であることを証明している、ということだ。確かに日本では、あくまで警察の自力の捜査が前提としてあり、そのなかで、密告があればなおよし、というところだ。一方、フィリピンでは「まず密告ありき」、警察が密告に頼っているのだ。

そもそも密告そのものが信頼できるかどうかを判断するには、基礎的な捜査が必要だろう。密告は、あくまで捜査の「裏付け」であるはずだ。ところが、密告そのものが先に来てしまえば、真偽そのものは二の次になってしまう。ゆえに、「冤罪」が次々に生まれてしまうのだ。

捜査について、だけではない。監督の、フィリピン社会の今後に対する見方はさらにシビアなものだった。

「汚職そのものやギャング組織を完全に撲滅することはできない。特に麻薬を扱う犯罪組織は大統領の予想よりも力が強かった。そうした組織の根は深いところに張られているので、弱まることがあってもなくなることはないのだと思う」

(c)Sari-Sari Store 2016

監督はスラム街を舞台にしたことについて、「私の映画はポルノのように貧しさを見世物にすることはしない。普通の人々の話を語るためのものです。」と言っている。さて、フィリピン社会をスラム=悪者、警察=社会正義という目で見てしまいがちな日本社会に、この映画はどんな波紋を投げかけるだろうか。

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