先進国が一斉に金融政策の正常化(引締め)局面に入った。米国はすでに金利を上げ始めた。ポルトガルの⾸都リスボン郊外シントラで6月27日に開催されたECB主催の経済シンポジウムにおいて、ドラキ総裁の発⾔から欧州も資⾦量の削減(正常化)が射程距離に⼊ったと判断された。
シントラでは密談がおこなわれたといわれ、その後、英国、カナダ、豪州、スウェーデンも同様で方向転換を明らかにした。カナダに至っては、7月12日には、7年ぶりの利上げを決め、すでに実施した。
実は、先進各国の中央銀行は、金利の正常化が“至上命題”なのである。それはまた景気後退局面に入った時に、金利を下げて景気を刺激する幅を持たなければならないからである。
日本については、日本銀行が政府への事実上の財政援助を行い、銀行など金融機関に配慮するため、金利を上げられないという問題があり、蚊帳の外に置かれている。しかし、それでも、先進国の金利正常化は進む。そして、その結果、世界的な通貨(金融)危機の再来が懸念される。
過去を振り返ると、立て続けに末尾に「7」が付く年に金融危機が起こった。
1987年ブラックマンデー、1997年アジア通貨危機、2007年サブプライム・ローン危機からリーマンショックである。10年ひと昔とはよく言ったもので、10年ごとの危機だった。リーマンショックは複合的な問題であったが、ブラックマンデーとアジア通貨危機は“先進国の利上げ”がその主たる原因であった。
87年10月に発生した「ブラックマンデー」は、ドイツ(当時西ドイツ)の利上げが主因である。当時、米国と日本とドイツで「機関車政策」と銘打って、金融政策においても協調して金利を下げていった。しかし、ドイツはインフレが高まり、単独で金利を引き上げた。その結果、米独の金利差が拡大し、米国からドイツへ資金が流出することによって株価が大暴落した。
97年7月にタイから発生した「アジア通貨危機」は、米国の利上げがそもそもの原因である。各国が調達していたドル資金が利上げで米国に巻き戻ることで、ドル調達が困難になった。
しかも当時、アジア諸国の通貨は対ドル固定相場制で、ドル売りで自国通貨を守ろうとしたが、それに投機筋が乗じて、外貨準備が枯渇し、通貨制度が崩壊して、結果として、アジア通貨は軒並み、大幅に下落することとなった。
この他にも90年代の「南米危機」を始め、先進国の利上げによって新興国(発展途上国)が通貨危機になることは列挙に暇がない。