「甲子園を目指さない」ことが、結局最強のチームをつくる近道だった

プロになる選手は、こうして生まれる
長谷川 滋利 プロフィール

ヒントを与える程度でいい

こういうビジョンを説明したところ、

「では球児のモチベーションはどこで保つのですか?」

という鋭い質問が追ってきました。当然ですね。

そこはアメリカ遠征という(人参をぶら下げるというと言葉は悪いですが)、ご褒美を用意します。

例えば練習試合も公式戦も含め、年間の勝率を6割5分といった、そういう目標を設定します。それを達成できればシーズン終盤に渡米…そんなルールはどうでしょうか。

前述のように数試合ごとにポジションも入れ替える中で、チーム全体としてどういう戦い方をして白星を拾っていくか、自ずと選手自身で考えるようになるんじゃないかな、と思います。

この野球部の在り方は、ただのアイデアです。しかし、現在の日本の高校野球に不足しているものがあるとすれば、選手主導のチーム作りだと僕は考えていますので、それを埋めることができるのではとも思っています。

 

僕の息子は高校生の時、南カリフォルニアアメリカの地区大会で決勝トーナメントまで進んで、キャプテンが「よし、チーム一丸になるためにみんなで同じヘアカットにしようぜ」と声をかけて、みんなでモヒカンにして楽しそうに盛り上がっていました。監督はそれをニコニコ見ているだけです。

そのアイデアが選手間で出ること自体が素晴らしいことですし、大人はひょっとしてそれを見守り、方向がズレそうになったり行き過ぎたら、諌めたり注意を促すだけでいいのかもしれないなと思います。また、その注意の仕方も「アイデアは面白いけど、それは進むとどうなるか想像してみよう」といった、ヒントを与える程度でいいのかもしれません。

これはアメリカと日本の比較論であって、どちらが優れているといった話では決してありません。それでも、甲子園という舞台には「坊主が爽やか」「監督の指示に服従するひたむきな球児」という前時代的なイメージがつきまといます。伝統という言葉は重みがありますし大切にしないといけない一方で、積み上げてきたものだけに注目しすぎると向上するチャンスを逸してしまうこともあります。

100回大会を前に選手や指導者、メディアや保護者、ファンがそれぞれ、よりよい甲子園を育むために考えていくべき課題なのではないでしょうか。