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「俺はもうすぐ死ぬ」元公安警察官が明かした過激派との闘い

ある公安警察官の遺言 第1回
竹内 明 プロフィール

テロの時代、公安はまさに「花形」だった

公安警察官は目立たぬことこそが最も重要だ。だが、古川原一彦は警視庁に入庁する前から「有名人」だった。その名が世間に知れ渡ったのは、全国高校駅伝でのことだ。1964年1月4日の新聞には、こう書かれている。

<ひょろ長い体にくりくり坊主、真っ赤なハチマキをしめたその頭からほのぼのとユゲが立つ。その表情はいかにも全力を出し切ってたたかったわこうどの表情をそのままに美しい。レースを終わって勝利のアンカー古川原選手はゆっくりと喜びをかみしめながらぽつりぽつりとレースをかえりみて次のように語った。

「優勝はしたが、記録を更新できず残念です。風がきつかった上に道が悪くて穴で足をくじきはしないかと気が気でなかった。優勝はみんなのおかげです。しかし優勝はなんどしても気持ちがいい」>

古川原は当時、名門・中京商業の駅伝選手。アンカーでゴールテープを切って、全国優勝を成し遂げた超一流の選手だった。名だたる企業からの誘いを断って古川原が選んだ就職先は警視庁だった。その理由はのちに紹介したい。

新聞の切り抜き古川原氏が大切に保管していた当時の新聞の切り抜き(撮影:竹内明)

古川原が警視庁巡査を拝命したのは1965年のことだ。交番勤務からスタートして、その7年後に、大塚警察署の公安係に異動となった。過激派によるテロが続いた時代、所轄とはいえ、まさに公安は花形だった。

1974年8月30日に、東京・丸の内で三菱重工ビルが爆破された。死者は8人、けが人は376人。ダイナマイト700本分の威力の爆弾だった。

この爆破の8分前、三菱重工の本社にはこんな電話が掛かっていた。

<我々は東アジア反日武装戦線”狼”である。爆弾を2個仕掛けた。これはいたずら電話ではない>

その後も、三井物産、帝人、大成建設、鹿島……と大企業を狙った爆破事件が続いた。これが当時の日本を震撼させた「連続企業爆破テロ事件」である。

 

古川原は所轄の末端の捜査員として、犯行に使われたペール缶爆弾に取り付けられていた時限タイマーの販売元をこつこつと探す作業に没頭した。

タイマーに使われたのは「スターレット」という旅行用目覚まし時計。茗荷谷駅近くの時計店にいった古川原は、タイマーに使われたスターレットと製造番号が連番の時計を発見する。

「犯人が時計をこの店で買ったのではないかと誰もが思った。茗荷谷駅近くに爆弾魔がいれば、俺に手柄になると思ってワクワクしたよ」(古川原)

結局、犯人がこの店で時計を買った事実はなかったのだが、その粘り強い捜査姿勢が評価され、古川原には念願の「公安部」から声がかかったのだった。