薬物依存症治療のプロは清原和博のいまをこう見ている

2つの不安材料
原田 隆之 プロフィール

コネクション、コーピング・スキル、引き金

ここから、依存症治療への道が見えてくる。1つはコネクションを増やすことである。治療者とのコネクション、家族や友人とのコネクション、さらに同じように薬物依存を克服しようとしている仲間とのコネクションだ。

そして、薬物に頼らずに、ネガティブ感情に対処するためのコーピング・スキルを身に付けることである。さらに、薬物への欲求が頭をもたげたときに、我慢するのではなく、それに効果的に対処するための数々のコーピング・スキルも覚えることだ。

たとえば、あらかじめ手首に輪ゴムをつけておき、薬物のことを考え始めたら、「輪ゴムパッチン」をして、15分間何かに集中する。電話をかける、風呂に入る、食事をするなど、それをあらかじめ考えておいて実践する。なぜ15分かというと、生理学的に薬物渇望は15分経つと消え去るからだ。

ほかにも、薬物使用の「引き金」となるものをリストアップして、それを生活の中から排除したり、別のものに置き換えたりする作業も重要だ。

覚せい剤の引き金は、薬物仲間やネガティブ感情が最大のものであるが、依存が進むにつれ、特定の場所、時間、物が薬物使用と結びついて、引き金になりやすくなる。

いつも夜一人の時間に、ホテルの一室で、飲酒しながら薬物を使用していたのなら、夜、一人の時間、ホテル、飲酒、これらはいずれも避けなければならない危険な「引き金」である。これらをどう排除し、どう対処するかを治療のなかで学習していく。

こうしたことをパッケージにして治療するのが、認知行動療法「マトリックス・プログラム」の主な内容であり、おそらく清原氏が受けている治療プログラムも類似のものだと思われる。

 

2つの不安材料

こうした治療を地道に続けていけば、コネクションは広がり、断薬を続けることができるだろう。しかし、もちろん不安材料がないわけではない。

まず、言うまでもなく人間とラットは違う。「孤独な檻」に入れられても、人間はネズミと違って、誰もが依存症になるわけではない。それは、人間の行動は「認知」に左右される場面が大きいからだ。

認知とは、判断、解釈、理解など、「物事のとらえ方」をいう。同じ孤独という状況でも、それを苦役のように認知する人もいれば、孤独を楽しむ認知の人もいる。また、覚せい剤についても、それに「興味がある」「1回くらい試してみたい」という認知の人もいれば、「絶対ダメ」「恐い」「おそろしい」という認知の人もいる。

薬物使用に関しては、言うまでもなく、薬物に対する認知がその人の行動を左右する。大多数の人は、いくら孤独で不安であっても、覚せい剤に救いを求めない。そのような認知を有しないからだ。

しかし、違法薬物を「良し」とするような「反社会的な認知」があれば、心理的抵抗なく手を出してしまうだろう。

「反社会的認知」には、ほかにも多様なものがある。

暴力を容認する認知、ルールや法律違反を許容する認知、反社会的な人々との交際を求める認知、入れ墨など裏社会の「文化」に憧れる認知、これらはみな反社会的認知であるが、こうした認知を清原氏は有していなかっただろうか。

そして、彼がそれをまだ持ち続けている限り、時間がたてばまた反社会的なつながりを求め、早晩薬物にも手を出してしまうだろう。

先に薬物に手を出す人の心理的メカニズムとして、ネガティブ感情の役割を述べたが、それと並んで大きな要因は、このような反社会的認知と反社会的な人々とのつながりである。これらを修正し、反社会的な交際などは一切断ち切らなければならない。それができるだろうか。

もう1つの懸念材料は、治療はいつまでも続かないということである。現在は病院に通っていても、治療は早晩終わる。実は、そこから本当の戦いが始まる。

現在清原氏は、外に出るのは病院と自宅の往復のみで、ほとんど家にこもったままの状態とのことであるが、いつまでもそのような生活はできないし、何より不健康である。この先、仕事を始めるかもしれないし、友達付き合いもあるだろう。そうすると誘惑も増えていくかもしれない。

そのような場合に備えて、何らかの形で治療を継続していくことが必須である。

一番望ましいのは、自助グループに参加することだ。幸い、日本にはダルクをはじめ、薬物依存者のための自助グループが活発に活動している。

有名人であれば敷居は高いかもしれないが、こうしたグループに参加して、薬物をやめるために努力を積み重ねている仲間との「コネクション」を作ることは大きな治療的意義がある。