本当に芸能人は「奴隷契約」を結ばされているのか

音事協「統一契約書」の真実(前編)
田崎 健太 プロフィール

SMAPのメンバーがジャニーズ事務所を離れるか否かが世間の耳目を集めたとき、「独立も移籍も自由にできないなんて、海外ではあり得ない」という批判が出た。しかし、ある大手芸能プロダクションの元幹部はこう言う。

「『SMAPのようなことは海外では起こらない』と言いますが、それは当たり前です。なぜなら、SMAPのようなグループは海外にはいないから。SMAPはジャニーズ事務所、さらに言えばジャニー(喜多川)さんがいなければ存在し得ない。素人の小中学生を集めて、歌とダンスの練習をさせて鍛え、選抜してグループを作り、さらに曲も用意する。こうしたビジネスは芸能プロダクションがなければ不可能ですから」

「音事協」が生まれた理由

日本の芸能界の仕組み、プロダクションと芸能人の契約について理解するには、まずは音事協、そして音事協の作った「統一契約書」について説明しなければならない。

大手から中小まで100社を超える芸能プロダクションが正会員として名を連ねる音事協は、事実上、日本の芸能ビジネスの方針を決める役割を担ってきた。そして、音事協による統一契約書こそが、芸能ビジネスの基礎を固める、いわば芸能界の「憲法」であるためだ。

1963年4月、渡辺プロダクション、ホリプロダクションなど芸能プロダクション20社による任意団体「音楽事業者協会」が発足した。

記念誌『音事協50年の歩み』の中で、ホリプロダクションの創立者、堀威夫は「団体の元になったのは『無尽』であった」と証言している。音事協発足以前から、芸能プロダクション同士の相互扶助システムが自発的に作られていたのである。

〈「私は参加していなかったので又聞きで恐縮だが、資金繰りに困ったときのために6つのプロダクションの関係者が集まって、『無尽』つまり互助会を始めたそうです。これは有志メンバーが中心となって資金を出し合って基金を作り、一定金額までは借り受けを可能にするという仕組みだったようです」〉

当時、芸能プロダクションは社会的な認知度が低く、銀行から融資を受けることも出来なかった。芸能マネージャーは、当局から「無職」のレッテルを貼られることも珍しくなかった。音事協は、初代会長に後の内閣総理大臣、中曽根康弘を招聘している。これは芸能プロダクションの地位向上を狙ったものだった。

そして音事協にはもう一つ、大きな目的があった。大手プロダクション同士が手を結ぶことにより、タレントや歌手の独立、移籍に伴うトラブルを防止することだ。

当時の芸能界では、所属タレントや歌手がプロダクション側に無断で移籍を決めたり、引き抜かれたりすることが日常茶飯事だった。

例えば渡辺プロ創業者の渡辺晋は、創業間もない頃、所属していた人気ロカビリー歌手の山下敬二郎から突然「外車を買ってくれないと仕事をしない」と要求され、それに応じなかった。すると後日、別のプロダクションが山下に車を買い与え、彼を引き抜いてしまったのだという。こうした事態を未然に防ぐために、プロダクション同士が密に連絡をとりあうしくみを作ったのだ。