宗教学者が予見「やがてAI殺しの天才が現れる時代が来る」

「神探し」と「神殺し」の歴史の中で
山折哲雄, 高山文彦

山折 僕も秋に高千穂にうかがいました。小さなローカルでコミュニティをつくって、何らかの新しい仕事や雇用をつくっていく。それをどう豊かなものにしていくかということを模索する時代に入ったことは間違いないですよ。

この変動の時代を幕末にたとえるならば、中央の幕政改革よりも各藩が独自に行う藩政改革のほうが有効だったことを思い出すべきでしょう。小藩であっても自前の力で強く生き残る方法を模索すべきなんです。

高山 思想史家・評論家の渡辺京二さんは、人間の尊厳は国家から独立したところにあり、国の行方など、自分の幸福とはなんの関係もない。人が努力して良いものをつくる、それが正当に評価される社会でなくてはならない、と言っていますね。それが「個人が個人として自立する過程」としての人類史なのだ、と。

その前提にあるのは「他者への思いやり」だとおっしゃる。山折さんも同じ意味のことを言っておられるんじゃないかと思いますが、僕は、誰もふり向きもしないような、それでいて、それがあればみんながほっとして喜ぶようなニッチな世界を高千穂につくりたいと思っているんです。

ヒューマニズムより義理と人情

山折 日本人は近代をひた走って「個人」と「自由」を獲得してきた。近代の成長パラダイムがうまく回っているときはよかったけど、それがゆきづまった今、殺伐とした無味乾燥な「個人」と、自分のことは自分で処理する「自由」に変わってしまった。

東日本大震災の後、「絆」とか「ささえあい」という言葉がすごく言われ出した。それを別の言葉で言うと、義理と人情を軸とする人間関係ということになる。

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高山 まさしく、このあいだ、某所で対談したときに、それをおっしゃっていましたね。正義と不正義、善と悪、この二元論で物事を考えることを私は60歳からやめましたと。

山折 そんなこと言ったっけ(笑)。

高山 おっしゃいましたとも。この耳がちゃんと覚えています。「義理と人情。これにもとづいて行動すればたいていは間違わない」と。

山折 間違わないんだよ、本当に。還暦を迎えたころですから20年ぐらい前からですね。正義・不正義、善・悪――こういう基準で物事を判断することはもうやめようと思いました。

正義というものがいかに様変わりしやすいものか。昨日正義だったものは、今日そうではなくなっている。善だったものが、いつのまにか悪にすり替わっている。正邪、善悪なんていうものを、人間とか世の中を判断する基準にしたら必ず間違う。それで私自身が間違ってきました。

さらに言うとね、正義とか善悪っていうのは、むしろ他人事(ひとごと)として言われてきたんですよ。われわれは理性的な判断、客観的な判断というものがあるとよく言う。そしてこれこそが普遍的な考え方であるという、その(近代的)理性の声の促しに従って物事を判断していると思っている。

それなのに世界は間違ってばかりいるじゃないか。いったい正義の戦争と不正義の戦争があるのかといった問題にもなります。

じゃあ、何を基準にしたらいいのか。それは義理と人情ですよ。義理と人情と言うといかにも古めかしい言い方だから、それをもう少し洗練させて、義と情。この両方に深くかかわっているのは人間の「思い」なんです。ふり返って僕は、義と情によって物事を判断して誤ったことはないなと気づいたんだ。

親鸞は、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と、善悪の関係を逆転させてしまっている。正邪、善悪というものは究極の基準にはならないよ、ということを言っておられるような気がしますね。

山折哲雄(やまおり・てつお)
1931年、米サンフランシスコ生まれ。東北大学文学部卒業。宗教学者・評論家。著書に『人間蓮如』(洋泉社MC新書〔増補改訂版〕)、『霊と肉』』『日本仏教思想論序説』(ともに講談社学術文庫)、『「ひとり」の哲学』『義理と人情 長谷川伸と日本人のこころ』(ともに新潮選書)など多数
高山文彦(たかやま・ふみひこ)
1958年、宮崎県生まれ。法政大学文学部中退。作家。高千穂あまてらす鉄道社長。『火花 北条民雄の生涯』で第31回大宅壮一ノンフィクション賞、第22回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『中上健次の生涯 エレクトラ』(文春文庫)、『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』(講談社)など

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