宗教学者が予見「やがてAI殺しの天才が現れる時代が来る」

「神探し」と「神殺し」の歴史の中で
山折哲雄, 高山文彦

人間は単なる「消費の道具」と化す

高山 『ポスト全体主義時代の民主主義』(青灯社)という本を書いたジャン=ピエール・ルゴフというフランスの社会学者がこう言っています。

「これからはロボット科学テクノロジーによって全面的に調査され、設計され、管理される人工的な社会環境になっていく」と。つまり、ロボットたちによる管理社会が避けられなくなるだろう。

人間は思考しなくなり、多少想像力を働かせても、すぐにコンピュータに分析・調査させる。人間はロボットの奴隷となる、と彼は警告しています。同感です。

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山折 機械的な労働は機械にやらせて、人間は人間様にしかできない高尚な労働をすればいいという話は昔からあったけど、もはや精神労働さえもロボットに遂行されていく運命にあると言っているわけだよね。

ルゴフという学者は、人間のあらゆる職域にロボットが進出して人間を管理する時代になって、人間はどうやって生きていくのか、生きていけるのかという未来像は出さないのか? 

やはりかならず「ロボット殺し」の時代がやってくる。「ロボット殺し」の天才が待望される時代がね。歴史は繰り返すだけだなぁ……。

 

高山 じきにAIのプランによって国家経営が実施されていくでしょう。人間は消費の道具としてしか見做されず、消費しなくなった途端にその人の生の意味や価値は閉じられてしまう。

多少の困難や痛みが伴ったとしても、それでも生きるに値すると思える文明はどうにか今日まで存在してきたわけですが、それは人間同士が協同して生きていける現場があったからです。魂の漂流者となればまだしもいいけれども、そういう人たちは独自のコロニーをつくるようになるでしょう。

大多数の人間は経済効率支配に精神も時間も奪われて、ひたすら消費し、自らも消費の道具にされる。神殺し、仏殺しの世界は、たいへんなニヒリズム、刹那主義の世界を招来するでしょうね。

仏教のリアリティが必要な時代

山折 それは、すでに仏教で「刹那滅(せつなめつ)」という言葉で言われている。世界は実在しない。瞬間瞬間、刹那ごとに消滅を繰り返している。だから現実は「空(くう)」だという考え方になる。真実はその「空」を乗り越えたところに存在する。

今日のテクノロジーが極端に進化した果ての刹那主義とは、たいへん空しい世界なんだよ、と仏教ではすでに言っているわけです。ところがその当事者はそれを空しいとは思っていない。「刹那」が真実だと思っているわけでしょう。

高山 「今のこの一瞬をつかみとれ!」っていう広告コピーがありましたね。

山折 その一瞬はつねに消滅するということを理解しないと、本質的に批判できないと思いますね。ただ、この急速なロボット化の潮流を食い止めることができるのかと言えば難しいだろうが、仏教のリアリティは、そういう時代の本質を解き明かすには必要だと思います。

サンスクリットでは「空」は何もないわけじゃない。言いようのない世界を「空」という言葉で置き換えているだけです。Nothing ではない。数学的な「0(ゼロ)」の概念は何もないということではないでしょう。むしろ「0」はすべての出発点であり原点である。そして万物創造のための「カオス」でもある。

高山 「0」がなければプラスマイナスの概念もありませんから。

山折 そう、「0」をネガティブにとらえているのは現代の技術で、「0」から何物かが創造されるというのは仏教的な考え方です。

それにしても、ばらばらになった人間や共同体はどこへゆくのか? 近代の恵みを享受し、生活も便利に豊かになったが、互助・共助は、ほぼなくなってしまった。戦後知識人は、村の寄り合いやご近所の助け合いを「個人の自我を無自覚に埋没させてしまうもの」として批判してきたけれど、伝統的な共同体が壊れたときに人は何を失うのか。

高山 「互助」というのは、まず「自助」がないと成り立ちませんね。僕が社長をしている高千穂あまてらす鉄道は、廃線になった高千穂鉄道の跡地を、「残せ、残せ」と運動して、やっと残してもらい、その片道2.5キロの線路の上を、軽トラを改造した車両に、満員で30名のお客さんを乗せて走らせている小さな会社です。

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おかげさまで今では名所になって、年間だいたい25000人のお客さんが乗りに来てくれています。今年(2017年)は2倍以上の勢いで、さらに売り上げ増が見込めるので、うちの会社を母体として山参会をつくったわけなんです。稼いだお金で山林復興をしようということで、自助互助の精神を育てていきたいと思っています。

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