「フォワードは自分で行け」日本とは違うスペインの気持ちいい感覚

~安永聡太郎Vol.8~
田崎 健太 プロフィール

日本人監督にはできない中村俊輔の育て方

アスカルゴルタで印象に残っているのは、中村俊輔の起用方法だったという。

中村は安永が復帰する前年の97年に桐光学園からマリノスに入っていた。初年度から試合に起用されたが、出場時間は限られていた。

「アスカルゴルタは3年で代表に行かせると言っていた。あいつは線が細かったし、初年度のリーグ戦では2試合しかフル出場させていない。60分だけ使うからマックス(最大の力)でやれとか、チームが間延びしていた時間から使うとか。俊が出るときには、必ず周りにハードワーク出来る選手を置いた。日本人監督では、ああいう起用はできなかったと思う」

アスカルゴルタは、テネリフェ時代にアルゼンチン代表、そしてレアル・マドリーで輝きを放ったフェルナンド・レドンド、ボリビア代表時代にマルコ・エチェベリを見出し、若手の育成に優れた監督として知られていた。

「俊もフルに出たいと思っていたはず。アスカルゴルタは居残り練習を禁止していた。俊は彼が帰るのを見計らって、チームマネジャーをグラウンドに引き連れて、ずっとキック(の精度)を磨いていた。あいつにとっては努力することが普通だったんだと思う。端から見てもすごく打ちこんでいた。

俊ぐらいの才能があって、努力をする選手ならば必ず芽は出たんだろうけど、1年目は大切に使ってもらって、2年目、3年目と着実にステップアップして、4年目のオズワルト・アルディレス体制時に才能が開花した」

復帰後初ゴール

第1ステージを4位で終えたマリノスは、アスカルゴルタを解任し、ヘッドコーチだったアントニオ・デラクルスを監督代行に据えた。8月22日、第2ステージ開幕戦の相手は、第1ステージを優勝していたジュビロ磐田だった。ジュビロは、ブラジル代表のドゥンガの他、名波浩、藤田俊哉、服部年宏、奥大介、中山雅史といった日本代表を揃えていた。

この試合も城とサリナスの2トップで、安永はベンチスタート。後半から安永はサリナスに代わってピッチに入った。試合は同点で延長に入った。延長後半、安永はフリオ・セサル・バルディビエソからのボールを胸でトラップ、強引に左足で押し込んだ。復帰後初得点だった。このゴールが延長Vゴールとなり、マリノスはジュビロを3対2で下した。

この後もマリノスは、ヴェルディ川崎、ヴィッセル神戸、ジェフ、横浜フリューゲルスを下し、勝利を重ねた。

スペインでの経験、マリノスでのプレーを評価されたのだろう、安永は9月末に日本代表候補に選ばれている。これは日本代表監督に就任したフランス人、フィリップ・トルシエの下での初合宿だった。安永にとっては念願のフル代表招集だった。

安永はこう振り返る。

「日本に戻って1年ぐらいが一番調子良かった。リェイダで、小さい頃にサッカーを始めた頃の感覚を取り戻していた。ああ、俺、サッカー好きだったんだって。日本にいると、いい車乗って、女の子紹介してもらったり、という方向に気持ちが向いていたから。いいプレーを見たら、”上手いなー、こうするんだ”と思って、次の練習で試してみたり」

しかし、その状態は長く続かなかった――。

さらに、安永とマリノスを巡る環境が大きく変わってしまう。フリューゲルスが消滅、マリノスと合併することになったのだ。

(つづく)