「芸能界のドン」に対峙する男の壮絶な告白記

~狼と呼ばれて
伊藤 博敏 プロフィール

「芸能界と暴力団」

2011年に全国施行された暴力団排除条例(暴排条例)は、それまでに暴力団対策法(暴対法)で打撃を受けていた暴力団に“解体”を迫るものだった。暴排条例によって暴力団に対峙するのは警察から民間企業や個人に変わった。

「暴力団と付き合えばあなたも反社会的勢力だ」というレッテル貼りのもとで、金融機関は銀行・証券口座を開かせず、不動産会社は部屋を貸さず、宅配便は受け取りを拒否、ホテルや飲食店は出入りを拒んだ。

その暴排条例キャンペーンの“生贄”になったのが、2011年8月、暴力団とのつきあいを理由に芸能界引退に追い込まれた島田紳助氏だった。「人でなし」となった暴力団からの落伍者が相次ぎ、構成員は急減、山口組は三分裂して壊滅の道を辿っている。

暴力団が消滅するということは、興行を通じて密接な関係にあった芸能界も変化を遂げるということだ。戦後、日本は歌とプロレスという娯楽に支えられて復興し、それを興行という形で届けたひとりが、山口組の田岡一雄三代目である。美空ひばりをマネジメントする神戸芸能社を持ち、力道山のプロレスとともに全国制覇の道具となった。

 

その暴力団が、国家権力の“本気”によって消滅への道を辿るとき、芸能界はどう変わるのか。

芸能界の支配者は、周防氏を始め、ケイダッシュの川村龍夫社長、田邊エージェンシーの田邊昭知社長など70代以上の年配者が多い。好むと好まざるとに関わらず、暴力団との「接点」を持っていた人たちで、勝手な行動をした芸能人を「干す」というペナルティシステムを含め、これまでの旧態依然とした環境が変わるのではないかと思われた。

そこで「芸能界と暴力団」という企画を立て、取材を開始、老舗出版社から「暴力団寄りにならないように、表現は審査室が厳しくチェックさせてもらう」という条件付きで企画も通った。

取材過程の2014年11月、高倉健、菅原文太という任侠映画、実録映画で主演を張った大物が相次ぎ死去。週刊誌で「高倉健と暴力団」を連載し、このエッセンスも本に盛り込むつもりだった。

笠岡氏は、東映映画スターとの縁も深かった。先代が、東映のプロデューサーでヤクザ映画を次々と世に送り出した俊藤浩滋と、戦後、一緒に賭場に出入りするなど兄弟分。

その関係で、松浦組が東映京都撮影所の“裏”を仕切り、トラブル処理を行ってきた。鶴田浩二、高倉健、菅原文太とは昵懇で、松方弘樹とは、家族ぐるみの付き合いだった。