無愛想なコンビニ店員の登場から、日本語文化の崩壊を感じる

事実さえ伝えればよい時代になるのか?
片岡 義男 プロフィール

大阪弁の見事な英訳を見た

下町の一角でコンビニに入ったときのことを友人が報告してくれた。店に入るとすぐに、「らっさいませえ」と、女性の大声が届いたという。なにか変だなと思いつつ、友人は声のしたほうに顔を向けた。その店の制服を着た女性が、「にこりともしないで」そこに立っていた。「にこりともしないで」という言葉は、友人の報告のなかにそのままあったものだ。だから僕はそれをいま鍵括弧のなかに入れている。

たたずまい、表情、その他のすべてをとっさに統合した結果として、その女性は日本の人ではない、と友人は判断した。探していた商品について彼がその女性に訊くと、「ない」とひと言、彼女は答えた。

「にこりともしないでですよ。日本の店員だったら、過剰なまでに恐縮し、にこにこと愛想良く、申し訳ございません、あいにくですが当店には置いてございません、などと言うじゃないですか。それなのに、ない、のひと言ですからね。驚いたので何度も言いますけれど、にこりともしないで、ですよ」

ないものは「ない」と答える、ただそれだけだ、愛想良くしたり恐縮したりする必要が、どこにあるのか、というような考えかたが、日本のなかに今後広まるだろうか。時間はかかりそうな気がするが、事態の進行は思いのほか速い、という可能性もある。これまでの日本語という強固な文化の、ごく小さな片隅はすでに浸食された、と感じとった友人は、次のように言う。

「僕は心配性です。日本国内でたった今この瞬間にも起こりつつある、日本語の変化をひしひしと感じます。にこりともしないで、ない、というひと言だけを店員さんが返すことは、これまでの日本語にはなかったことです」

大阪のホスト・クラブのホストたちとその客の女性たちを取材してまとめたドキュメンタリー番組がTVで放映された。外国の人たちが作った作品だ。外国で公開するときに必要だからだろう、大阪弁の日本語はすべて英語になって字幕に出た。その一例は次のような言葉だ。

 

「いったん情が移ったら、そこでお前は負けや」

客の女性に恋愛感情のようなものを抱いたらホストとしての機能は果たせなくなる、というような意味だ。これを英語にすると、いったいどうなるのか、じつに興味深い。しかも画面の下に二行以下で表示される字幕なのだから、少ない言葉数のなかで可能なかぎりの端的な言いかたを目指さなくてはいけない。その英語は次のようだった。

Once you get your feelings involved, you lose.

見事だと言うほかない。「いったん情が移ったら、そこでお前は負けや」という日本語は素晴らしい。と同時に、英語での言いかたにも、惹かれるものは強くある。

日本語も英語も、相手に伝えようとしている意味は、ほぼおなじだ。ということは、大阪弁でこう言いあらわすのとおなじような状況が、英語で営まれる世界にもある、ということだ。おなじような内容が、その番組のなかでは、ふたとおりの言語で同時に、言いあらわされている。

片岡義男『ロンサム・カウボーイ』およそ40年の時を経て、片岡義男ファン待望の初期作品群がオリジナル・デザインのまま復活。