江戸時代、不倫は文字通り「命がけ」の沙汰だった

妻は殺され、相手も殺され…てホント?
河合 敦 プロフィール

和解金は今も当時も同じ額…?

ところで、浮気現場を押さえても、小石川の御家人のように、その場で殺すのはなかなか容易ではありません。武士でもよほど剣に自信がなければ難しいでしょう。

浮気現場に遭遇したものの妻や間男を殺さなかった武士の話が、長崎奉行所の判決録『犯科帳』(長崎図書館蔵)に残っています。

彭城茂藤太は、あるとき仕事が早く終わって自宅にもどったら、見知らぬ男が妻といた。不倫相手は、小松貞之進という者でした。

衝撃をうけた茂藤太は、刀の柄に手をかけて2人を殺そうとしましたが、必死に妻がわびたため貞之進を追い出し、妻はそのまま実家にあずけました。

ただ、この話には後日談があります。5日後、茂藤太が松ノ森神社に出かけると、境内の茶屋で人目をはばかりながら寄りそう男女の姿があります。よく見るとなんと、それが妻と貞之進だったのです。

さすがにこれには激高した茂藤太は、すぐさま貞之進を斬り殺しましたが、仰天した妻のほうは脱兎のごとく逃げ去ってしまいました。妻はよほど脚力があったのでしょうか。

その後、意外にも茂藤太は、長崎奉行所から有罪判決を受けることになりました。その行いに落ち度があったというのです。どういうことでしょうか。

 

本来ならば、最初の浮気現場ですぐに2人を討ちとるべきなのを、無用の思いやりをかけて見逃し、ふたたび不貞を許したうえ妻を討ち漏らしたのは失態である、という理由でした。こうして茂藤太は、30日間の押込(謹慎)処分となったのです。

当時の武士が体面や世間体を維持することをいかに重視していたかがわかるのではないでしょうか。

体面と言えば、江戸時代も妻の不倫は外聞が良くありません。そこで、ことを表沙汰にすることを避けて相手から慰謝料と詫び状をとって示談にするのが一般的でした。

江戸ではそれを「首代」といって7両2分(現在の50万円程度)を支払うのが慣例でした。余談ですが、現代でも不倫の和解金の相場は50万円程度と以前弁護士の方から聞いたことがあります。時代が変わっても罪の値段が変わらないというのは面白いですね。

話を戻すと詫び状には、相手に対する謝罪と表沙汰にしなかったことへの感謝、慰謝料の額、2度と相手と会わないという誓約が明記され、「もし違反したら表沙汰にしてかまわない」と明記されました。

もちろん表沙汰になれば、不義をおこなった男女は、法にしたがって処刑されることになります。だから慰謝料も首を斬られる代金、つまり「首代」と呼ぶのでしょう。