江戸時代、不倫は文字通り「命がけ」の沙汰だった

妻は殺され、相手も殺され…てホント?
河合 敦 プロフィール

心中大流行

妻にとって不倫はまさに命がけだったはずですから、殺された妻と元カレはきっと心から愛しあっていたのでしょう。それでもふたりは結婚できませんでした。

それは、よく知られているように、基本的に恋愛結婚はできない時代だったからです。男も女も、親や縁者が決めた家格の釣り合う相手と結婚せざるを得なかったのです。

しかし、障害があるほど燃え上がるのが恋心。それは今も昔も変わりません。このためどうしても一緒になりたい場合は、相対死(心中)を選ぶことも少なくありませんでした。

とくに近松門左衛門の『曽根崎心中』が1703年に上演されてから、あちこちで心中事件が続発するようになり、困った幕府はついに1722年に心中物の上演を禁止するまでになったほどです。

とはいえ、相対死も、罪であることに変わりはありません。一方が生き残った場合は死刑。二人とも生き残った場合は、晒し刑に処せられたあと、士農工商から外れる身分に落とされる決まりになっていたのです。

 

けれど、こうした上演禁止令が出た後も心中は後を絶ちません。1767年に大田南畝(蜀山人)が編纂した『談笈拔萃』には、「当春以来、所々にて相対死の心中有し事はおびたゞしき事にして、あげてかぞへがたし」とあります。

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とくに大坂や梅田では、あまりに心中する男女が多いので、夜中に番人を置かなくてはならないほどでした。

毎晩、数組のカップルがあやしい動きをするので、番人はそれを追い払うのが仕事になり、「心中追払ひ番」と名付けられるようになったといいます。

さらに南畝は、『談笈拔萃』で奇妙な心中事件を紹介しています。大坂の堀川近くの畑で心中をはかった男女が、二人とも生き残って浜の墓という場所にさらされた。二人の番人がそれを監視していたが、二日目の夜、番人らがうとうとしていると、心中した男女がいきなり裸で立ち上がって、「ついたとさ、ついたとさ」と大声を上げて踊り出したのだ。

これに仰天した番人たちはその場から逃げ去り、近くの屋敷へ駆け込んだという。このため翌日は大勢で監視することになったが、男女はジッとしていたという。

このあたりには「狐のおふく」がいるといわれ、人びとはきっと、「おふく」の仕業だろうと噂しあったとか。まるで日本昔話みたいですが、子供向けアニメでは映像化しづらい場面が多いかもしれませんね。