# 社会風俗

日本人の「危険回避能力」が落ちていることを示す、衝撃的な事実

自転車のライトは何のために点けるのか
堀井 憲一郎 プロフィール

ちなみに落語を聞いていると、明治大正期の人力車ではやはり夜間走行の際、提灯をぶら下げないと怒られたらしい。ぶら下げないと営業できないので、神社のどでかい奉納提灯を勝手に吊り下げた人力車が出てくる描写がある(勝手に借りるのも犯罪だけど、まあ、そのへんはみんなあまり気にしていない)。

19世紀末のフィラデルフィアで、自転車点灯の啓蒙の意味も含め、日本提灯をぶらさげたアメリカ人の自転車が何千と走っていたというのは、何だか心踊る風景である。

自転車は自由ではあるが、しかしまた規律的でもあろうとしていた。

自転車に乗っている人の意識はしっかり社会を反映しているようだ。

 

変わったのは「死への距離感」

私が子供だった時代と、いまの社会の空気の違いは〝個〟の認識だろう。言い方を変えれば、〝死への距離感〟の差でもある。

自転車に乗る行為を、子供であっても、個から見るか、全体から見るか。その意識の持ちようの違いである。いまは個から見るほうが圧倒的に優先されている。

私が子供のころ、1960年代は、全体から見ろと社会が強く子供に要請していたようにおもう。言葉ではなく空気である。

現在では大人が子供に向かって「大人の論理を学べ」とは強制しにくくなっている。それは親と学校だけの問題ではない。そのうしろに控えるすべての大人の意識の問題である。

どこかの時点で、われわれの社会は、子供を〝お客さま〟化してしまい、それが取り戻せないでいるのだ。

このまま転がっていかないほうがいい。

そして、自転車は暗くなったら、必ず点灯してください。歩行者からしたら、危なくってしかたない。

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