ソ連のスパイとなったMI6スーパーエリートの「裏切り」

歯車はこうして狂っていった…
塩田 武士 プロフィール

アメリカCIAを舞台にしたノンフィクションでは『スパイの血脈』が読ませる。インテリジェンス史上類を見ない親子二代の裏切りの物語だ。

スパイの血脈

1950年生まれのジム・ニコルソンは冷戦の申し子だった。スパイ映画や核爆弾対策の避難訓練を通して“悪の”東側陣営と闘う人生を選んだ。

だが、陸軍からCIAに転職し、世界各地で勤務する中で、彼の人生は少しずつ狂い始める。浪費癖や女性問題。墓穴を掘る形で、足下をぐらつかせた。妻にひたすら従順と忍耐を強いた結果、結婚生活が崩壊する。

三人の子どもの親権を得るには金が必要だったが、貯蓄のなかった彼は経済的に困窮する。一人のCIA幹部を背徳に向かわせたのは、イデオロギーではなく、金だった。

ジムを逮捕すべく着実に証拠を積み上げていく潜入捜査は手に汗握る。CIAのスパイや訓練生の情報をロシア側に売り飛ばした被害は甚大で、ジムは懲役23年の実刑判決を受けた。

次男のネイサンが13歳になったのは、父親が刑務所に入って一週間後のことだ。ネイサンは面会や電話を通して父への尊敬を示した。9年後、父は息子に言った。「手伝う気はあるか」―。

 

面会時に隠し持ったメモを交換し、電話では暗号を使って会話する。純粋なネイサンはジムの手先となって、海外に行ってはロシアの情報機関に機密事項を流し、多額の現金を受け取った。

無論、捜査機関はすぐにこの動きに気付いた。父子の裁判経過は本書に譲るが、子どもまで利用したジムの犯行動機は、曖昧で哲学がない。裏返せば、人が道を踏み外すのは、自転車に乗るように簡単だということだ。

やるせない話だが、ラストは陽が差すような粋な締め方をしている。筆者の取材力に舌を巻く半面、小気味よい文章も本書の魅力だ。

週刊現代』2017年7月15日号より