2017.07.04
# エンタメ # 本

『ジョジョの奇妙な冒険』は、究極の自己啓発書であるッ!

この大胆な提言を、君は受け入れるか?
杉田 俊介 プロフィール

スタンドは人間の欲望を現している?

たとえば『ジョジョ』第四部「ダイヤモンドは砕けない」に登場する漫画家、岸辺露伴の中にある欲望は、ひたすら面白いマンガを描くということである。彼にとっては、お金や名誉などはどうでもいいものだ。

しかも露伴は、面白いマンガのためならば、ときには犯罪や悪の領域へと踏み込んでいくこともある。

露伴の欲望は、普通の意味での道徳意識や、市民社会的な善悪の域を完全に超えているのだ。彼はたまたまマンガ家として大成功したのだが、もしもそうなっていなかったら、たんにわがままで、傲慢な、社会のクズにすぎなかったかもしれない。

あるいは女子高生の山岸由花子にとっての愛や、殺人鬼・吉良吉影の欲望もまた、この世の善悪や美醜、正常と狂気などの区別を無意味なものにしてしまう。

私たちの欲望の中には、つねに二面性があり、両面性があるのではないか――たとえば第四部「ダイヤモンドは砕けない」の主人公、東方仗助には、強さと弱さ、優しさと狂気という極端な二面性がある。

東方仗助が表紙の『ジョジョの奇妙な冒険 第4部 第1巻』

仗助は、怒ってキレると、まわりのものを見境なく破壊してしまう。凶暴で、面倒くさく、ややこしい性格の持ち主であるとしか言いようがない。

しかしおそらく、そうだからこそ、仗助のスタンド能力は、他人の傷や怪我を治す、という治癒能力になっているのではないか。つまり、自分が傷つけたり、壊してしまったものをいつでも復元し、もとに戻せるように。

仗助は幼い頃、自分の中にある激しい狂気や凶暴さに気付いて、恐怖を感じ、おそれおののいたはずである(その意味では仗助は、じつは、殺人鬼の吉良ともかなり似ているのである)。

だからこそ、自分の手で破壊したものを治すための治癒の力を、無意識のうちに強く望んできたのではないか。そしてそれが仗助にとってのスタンド=自立のあり方となった。

じつは誰の欲望の中にも、そのような両義性や二重性がはらまれているのではないか。

ブローノ・ブチャラティが表紙の『ジョジョの奇妙な冒険 第5部 9巻』

たとえば第五部「黄金の風」のブローノ・ブチャラティの能力(スティッキィ・フィンガーズ)は「ジッパー」である。

これは二つのもの(仁義/悪)を結びつけると同時に引き離すという、ブチャラティが置かれた矛盾した状況を表現するものであるように見える。だからこそ、ブチャラティのスタンドはジッパーという形になっているのだろう。

さらに同じく第五部に出てくるレオーネ・アバッキオの能力(ムーディ・ブルース)は、「対象の時間を巻き戻したり、再生したりできる」というものである。

これはかつては正義感から真面目な警官になりたかったが、現実の汚さを前に脱落して、場末のチンピラになってしまった自分に対する後悔があり、「過去の罪を贖ってもう一度やり直したい」というアバッキオの願望が具現化した能力なのだろう。

ただしそこには同時に「過去の罪を償うことはもうできない」という諦めも混じっているようだ。実際にアバッキオは、他人の過去であればリプレイできるのに、自分の過去だけは絶対にリプレイできないのだから。

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