実際に、経営コンサルタントの富田英太による『ジョジョの覚悟』という自己啓発書もすでにある。富田はいう。
《強い「覚悟」さえあれば、必ず道は開ける。解決策は必ずある。そんな確信が私にはあります。/困難な現状を打開し、未来を切り開く力を、あなたにも身につけてほしいと思い、本書を執筆しました》(『ジョジョの覚悟』「はじめに」)。
社会学者の牧野智和は、自己啓発とは、社会が複雑化・流動化していく中で、自分のあり方をうまくコントロールするための「自己のテクノロジー」である、と解説している(『自己啓発の時代 「自己」の文化社会学的探求』)。
牧野によれば、1990年代後半になると、自己啓発は精神的な心構えや哲学的探求のような人生論のみならず、技法・プログラムに基づく「内面の技術対象化」となり、脳科学や心理学などの知見をも取り込みながら多様化してきた。
毎日の行動が習慣を作り、毎日の習慣が人格を作り、人格が運命を作る。だから、もしも自分の運命を変えたいなら、まずは身近な、毎日の行動パターンから変えよう。君の欲望のあり方そのものを変えろ――。
それが自己啓発的なものの教えなのだ。
ジョジョの「スタンド」の意味
ただし、『ジョジョ』の世界観には、自己啓発的なものとよく似たところがありながら、それを逸脱し、そこからズレていくところもまたある。
おそらくそのような特殊な側面が『ジョジョ』というマンガの魅力になってきた。『ジョジョ』の中にあるそのような世界観を、私はもう一つの自己啓発の可能性、すなわち「オルナタ自己啓発(もうひとつの自己啓発・新たな自己啓発)」と呼べるのではないか、と考えている。
ここでいうオルタナ自己啓発とは、市場経済が要求する技能やコミュニケーション能力、メンタルの強さばかりではなく、弱さや無能力、病や障害などの中にもその人にとっての自分らしさ(才能)を見出し、その意味や価値を積極的に生かそうとしていく、という考え方のことである。
どういうことか?
『ジョジョ』といえば「スタンド」である。スタンドとは、その人の「無意識の才能」であり、それが視覚的な形として表現された超能力のことだ。その人に固有の人格や欲望が、具体的なヴィジョンになったものである。
そしてそれはまさに、「自分の足で立つこと=自立」としてのスタンドと呼ぶべきものである。つまり、『ジョジョ』の世界では、自分にとって固有の欲望、無意識の願望を現実のものとしていくことが、人間にとっての自立(スタンド)の意味になっているのだ。
これを私たちが生きる現実に照らし合わせてみれば、自分にとっての無意識の才能=欲望がどんなものか、自分が本当はどんな欲望を抱えているのかをちゃんと理解していない人は、どんな職業に就いていようがどんな地位にあろうが、じつはまだ十分に自立(スタンド)できていない、ということになる。
そこに『ジョジョ』というマンガの特徴がある。