ザッカーバーグがハーバード大でのスピーチに込めた本当のメッセージ

これは歴史にのこる「建国宣言」だ
池田 純一 プロフィール

2つの問い

ベックは政治的な問いと社会学的問いという、2つの問いを区別する。

先に記してしまうと、ここまでの文脈でいえば、前者が従来型の方法論的ナショナリズムと、後者が方法論的コスモポリタニズムと、それぞれ関わることになる。

第一の政治的な問いとは、「私たちは何ができるのか?」という規範的で実務的な問いであり、現在も稼働する政治社会システムの下で、時間的制約の中で直接的な解決策を求める問いである。基本的には「変態」の真逆である、現在の社会システムの安定的な「再生産」に準拠した問いだ。

次に第二の問いとは、社会学的で分析的な問いであり、具体的には「今起きている事態は本当のところ、私たちに対して何をするのか?」あるいは「(この変化は)社会と政治の秩序をどのように変えるのか?」という問いである。

目先の事態の収拾ではなく、今起こっていることの本質的な意義を問い直すものだ。それは時に新たな事実(truth)を浮き上がらせることにも繋がる。

社会学者のベックのみるところ、政務に携わる人びとに課せられる、実行可能な解決策を探し出さねばならないという圧力の下では、第一の問いが第二の問いよりも優位になりがちだという。

その結果、「現在私たちの集合的な社会的・政治的な想像力が妨げられている」ように思われると結論する。つまり、人びとが集合的に抱く疑問やそれに触発された想像は、政治の現場に現れるための回路を予め絶たれてしまうのだ。

だがこのようなベックの見立てが有効だとすると、次のように考えることはできないだろうか。

つまりこのフレームの下で、第二の問い、すなわち社会学的・分析的問いが、すでに政治システムに組み込まれている主流メディアではいわばブラインドスポットとして抑圧されており、その反動としてウェブの世界で、陰謀説なども含めて問いと答えが混在するような「スペキュラティブ(思弁的)」な言説が浮上してきてしまう。フェイクニュースが流布し「ポスト・トゥルース」という現象が生じるのもその一つなのかもしれない。

というのも、従来型の政治による第一の問いへの対処だけでは、多くの人びとが直感的に感づいている不安が見過ごされてしまうからだ。ベックの場合であれば、気候変動の不安から生じる将来的な疑念であり、シンギュラリティのことであれば、近未来における人類の経済的存続のあり方への不安から始める疑念だ。

こうした疑念は、本来的には「地球」や「人類」といった国民国家の枠組みを超えたところで検討されるべきものだが、残念ながら国内に目を向ける国民国家ベースの政治では問いの立て方そのものに限界が生じる。

しかしそれでは人びとの漠たる不安は消えないため、憶測が飛び交うことになる。

ソーシャルネットワークが国境を越えてそうした憶測の流布に関わってしまったことは、昨年のアメリカ大統領選で実際に起こったことだ(そしてザッカーバーグのFacebookも、Googleとともにその流布の責任について、選挙後問われていた)。

だがそうした、従来の(国民国家ベースの)「政治」の枠組みでは取りこぼしてしまう、国境を越える「公」的課題を扱おうとする試み――ベックは「サブ政治」と呼ぶ――こそが「コスモポリタン的転回」の必要性にリアリティを与える原動力であるとベックは考える。

そして、そのような(主には従来の政治関係者以外の人びとが関わることになる)「サブ政治」のためのコミュニケーションが実施されるのが、国境にこだわらずに情報や意見のやり取りを行えるインターネットだとベックは見ている。

さらにいえば、事実だけでなく憶測の流通も含めて、ベックはこのインターネット上のコミュニケーション過程こそが、人々の間で実際に「コスモポリタニズム的転回」をもたらす現場であると捉える。

つまり、インターネット上で人びとが雑多な情報を見たり聞いたりすることを通じて、コスモポリタニズムは今この瞬間にも生産されつつあるのだ。

ミレニアル世代の課題

さて、ここまで来て、ようやくザッカーバーグの「グローバル・コミュニティ建設宣言」に戻ってくることができる。

今書いたベックの仮説・理論を、実際にインターネット上でやってみようというのが、ザッカーバーグのレターの趣旨だからだ。

関連記事

編集部からのお知らせ!

おすすめの記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/