言論規制下の中国で、「ネット経済圏」が繁栄するフシギ

これが、「アメとムチ」の使い分けか
古畑 康雄 プロフィール

「アメとムチ」の中国共産党ネット政策

中国のオンライン決済の普及度を賞賛し、日本も中国のようにオンライン決済を普及させるべき、との声もある。だがなぜ中国政府がこのようにネットの利便性の向上に取り組んでいるか、その背景も考える必要があるだろう。

ネットの普及により、中国では限定的ながら、人々が言論の自由を手に入れた時期があった。それはブログや微博などソーシャルメディアが普及した2000年代後半から習近平政権成立前の12年ごろまでだった。その結果、ネット空間は共産党政権に対抗する言論の陣地としての存在感がますます大きくなり、政権側は、ますます脅威に感じるようになった。

結局、習近平政権に入り、急激なネット言論の管理強化が進み、網民を“おとなしく”させることに一応は成功した。(拙書「『網民の反乱』ーーネットは中国を変えるか」「習近平時代のネット社会ーー『壁』と『微』の中国」参照)

これは、経済改革は進めるが、政治改革は断固としてはねつける共産党政権の姿勢に共通する。経済発展によって人々に一定の利益を享受させる代わりに、自らの執政の地位を脅かす政治改革の要求は「政権転覆の企て」などとして弾圧を加えるのだ。ただこの合法性を守るためには経済が一定以上のレベルで発展を続けることが必要だが、その問題はここでは深く論じない。

 

ネットにおいても同様に、言論の自由は認めないが、その代わりネットによるさまざまな利便性を提供する。「おとなしくしていれば悪いようにはしない」という論法である。そのためには農村に至るまでネットの利便性が享受できるように、ネットのインフラ強化にも取り組んでいる。

先日、NHKの番組で、農村部でもスマホを持つようになった人々がオンラインで好きな商品を購入できるようになった状況を紹介していたが、人心を掌握するために当局はさまざまな努力をしており、それこそがプラスの面だろう。

ただこのような閉鎖的な言論空間は、いびつな世論を生む。特に問題となるのが日本や米国、台湾、さらに最近では韓国に対しても起こった激しい愛国主義(ナショナリズム)だ。特に最近では若者の間に広がるナショナリズムがクローズアップされている。

だが、一度ネットが世界や歴史、社会に対してさまざまな知識を与えてくれることを知り、ネットを通じて個人の言論を広く社会に発信できることを覚えた知識層は、こうした政策に不満を持っている。現在の言論環境では口を開くことのリスクがあまりに大きく、またすぐに口をふさがれてしまうため、沈黙を余儀なくされているが、自由な言論を求める声は底流として続いている。

「アメとムチ」による思考停止の強要は、教育水準が低く社会への関心が低い人々は受け入れても、政治や社会に強い関心を持ち、独立した思考をする知識層には受け入れられない。こうした声が時にさまざまな形で噴出し、政府の言論と時に対抗する、そういう状況は拙著でも紹介したが、これからも続くだろう。「アメとムチ」政策は今のところ成功はしているが、7億の網民(ネット市民)の抵抗を完全に抑えこんだわけではないのだ。